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寝る前のメモ。


普段から感覚的に話しがちなのですが、最近はそれが一段と加速しているような気さえする。この環境下で新たに考えたこと、進めようとしていることは、その間にあるはずの細かいロジックをすっ飛ばして「感情」を優先してやっているので、だれかに突っ込まれながら「考え」を組み立てていくというおもしろい日々。自分の発言なのに、そういうことか!と発見しながら話している。

同時に、上手く話せなくて申し訳ない気持ちもあるのだけれど、だからこうして書くようにしている。明日はもうすこし上手に話せるようになればという振り返りも兼ねて。

何度か書いているように「地域内外のヘルシーな循環」をつくることを目的に、コミュニティツーリズムの開発に携わっている。開発というと仰々しいけれど、一住民として地元での日々を発見していくようなことだと思っていて。そんなことが仕事になったら楽しいだろうなと思いながらも、現実は地味で地道で、そして楽しい(結局)。

先日と重なる部分もあるかもしれないけれど、現在このまちのアイデンティティでもある「川」に焦点をあてながら、それを様々な角度から読み解き、そして「まちづくり」に返すというよなことを計画している。これ以上詳しく書けないのは、これ以上詳しく決まっていないというだけのことだけど、この “様々な角度” が多様さを生み出すと思っていて。

そもそもそういう考えに至ったのは、このまちにとってネガティブな要素のひとつだった「霧」をキービジュアルに小さな芸術祭が生まれたからで、それを育てるプロセスに地域内外のたくさんの人が関わっていることが関係している。(わたしの場合、霧が嫌いだったのは中学生までだけどね)

そこには、これまでと異なる角度からの「見立て(アート)」が存在し、その視点や思想を通じて(あるいは、それらを借りることで)、日々の行動に変化をもたらす(かもしれない)ものだと思っている。ただ、その見立てに頼りすぎてはいけないし、酔ってもいけない。私たちが生きている場所(現実)はどこまでも泥臭いもので、そこにはありとあらゆる課題が存在し、それらを解決することは決して容易ではないから。


でも、そういったことを考えるのは「誰か」を突き詰めると、最終的にはそこに住んでいる私たちになるわけなので、ネガティブに感じられることをどのようにポジティブにしていくかが、わたしの考えたいところなのだと思う。その要素は、現在関わっている商店街のイベントであれ、コミュニティツーリズムであれ、移住促進であれ、どんな企画にも共通していることだと思っていて。


そろそろあたまが働かなくなってきたので、今日はここまでにします。

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