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寝る前のメモ。


先日、『いま、身近な風景を旅してみる。自分たちの住むまちを再発見するための「マイクロツーリズム」という提案。』というnoteを投稿してから、「ツーリズム」そのものの意義について改めて考えている。

「観光」について、大学の授業では “地域の光を観に行く” という風に習ったのだけれど(もちろんそれも大切な要素であることは変わらない)、なんとなくそこに違和感があって。おそらくその頃に感じていたのは、「大型バスで観光名所に乗り付けてお土産屋さんに寄る」という決められたパッケージツアーや、観光地化することについて、自分の好む旅のスタイルとズレているな・・ということが根底にあったと思う。

「観光」は、地方にとって大切な産業であることは変わらないのだけれど、“お客さん”としてやってくる方を相手にする、ビジネスとしての「観光」というものの薄っぺらさを、やっぱりどこかで感じていて。どの観光雑誌も、紹介しているスポットはほとんど変わらず、焼きまわしの情報を眺めているだけにすぎない。


そんなことを考えながら「ツーリズム(ツアー)」の語源を調べてみた。

William F. Theobald (1994) suggested that "etymologically, the word tour is derived from the Latin, 'tornare' and the Greek, 'tornos', meaning 'a lathe or circle; movement around a central point or axis'.
こちらのHPより引用。

ここに書かれていることを「中心や軸になるポイントの周辺を巡ること」という風に解釈しているのだけれど、あたまの中には、土星のように何かがぐるぐると循環している映像がアニメーションのように流れている。

この「循環」について、もう少しゆっくり整理していきたいけれど、今日はあたまが働かなくなってきたのでここまで。

Amazonプライムで「サーミの血」という映画を観てから、ずっと心がえぐられたような状態になっている。生まれた土地のこと、自由のこと、描かれている内容は、ご自身のルーツと重ねて撮られた映画なのだそう。

HPには「感動作」と書かれているけれど、歴史的に差別を受けてきた種族に生まれた主人公が自力で自由を勝ち取り、ルーツと向き合いながら自分の人生を切り開いていくという、想像し難い痛みを感じたまま物語が終わったので、いまでも消化できずにいる。

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