学生時代、孤独だった僕にポケモンリメイクがやってきた。
みなさんにとってポケモンはどんな存在ですか?僕にとってポケモンは孤独から開放してくれた存在でした。
僕は1993年生まれでポケモンでいえば第2世代と呼ばれる、金銀世代でした。金銀シリーズでは過去の作品のジムリーダーも出てくる事から興奮したのを覚えています。ただ殿堂入りしたらそれまでで、クリアしたらゲームを辞めてました。いわゆるライトユーザーでした。ポケモンは新作が出るたびに買っていましたがやはり金銀が自分の中ではお気に入りでした。
そして僕は高校生になります。中学生までは小さい頃からの友達が多く孤独を感じることはありませんでした。しかし高校生になると上手く友達が作れずにいました。酷い時はクラスにいると声が出なくなり話しかけることさえできませんでした。クラスに友人はおらず休み時間はトイレに行ったり、机に伏せる学生生活でした。
2年生になっても友達はなかなか作れませんでした。そんな中であるニュースが流れます。ポケモン金銀をリメイクして『ポケモンハートゴールド、ソウルシルバー』の発売するというものでした。金銀世代の僕としてはまた金銀ができるなんて楽しみでした。ポケモンをやって友達ができたらなと思っていました。
そして発売すると当然買ってプレイしました。ある日クラスで沢田くんが友達とポケモンの話をしていました。勇気を振り絞り「ポケモンやってるの?」と聞いたら「やっているよ!」と返してくれました。「じゃあ学校が終わったら対戦しない?」と言われました。
沢田くんと対戦することになりましたが、僕はゲームを進めるなかで育てたパーティー、通称旅パで挑みました。結果は安定のボロ負け。沢田くんから「ちゃんと努力値振ってる?」と言われ努力値とはなんなんだ!と思ったのを覚えています。
ポケモンには強いポケモンを育てる中で「種族値」「個体値」「努力値」「性格」でステータスが決まります。沢田くんはちゃんとポケモンを育成するガチ勢でした。
負けた悔しさは未だに覚えています。
「もこうが面白いからニコニコ動画を観よう!」と沢田くんに言われ家に行くことになりました。学生だった当時はyoutubeではなくニコニコ動画が流行ってました。ニコニコ動画でポケモンの対戦動画を見るのが大好きになり、僕も育成するようになりました。そして次第に学校でポケモン友達が増えていきました。
ポケモンの育成は今では楽になっていますが、当時はポケモンの卵を産んでくれる育て屋さんの周りを自転車で何時間も走り続ける毎日でした。自転車で走る道をポケモンガチ勢は「廃人ロード」と呼んでいます。ある意味苦行でした。
いつの間にか僕はポケモンガチ勢になっていました。沢田くんから「バトレボ、やろうぜ!」と言われるようになりました。バトレボはバトルレボリューションというWiiのゲームでポケモンの対戦がテレビで対戦出来るものでした。ポケモン対戦に実況が加わり臨場感が増します。沢田くんの家でやるようになり、いつからか勝てるようになりました。
バトレボはインターネットに接続するとネット対戦できるものでした。僕も買ってネットで対戦に明け暮れる日々でした。友達が少なくても遊べるんだと思って孤独が減っていきました。それから小さな大会にも参加するようになってきました。
ある日、沢田くんから「ポケモンの対戦動画を作らない?」と言われました。ポケモンはニコニコ動画で観るものだったので驚きましたがやることになりました。
沢田くんとポケモンの対戦動画を作っているのはワクワクでした。動画の機材は沢田くんが持っており二人で対戦を語りながら撮影していました。当然そんなに再生数は伸びなかったんですが沢田くんと動画を投稿したということが楽しかったです。そして沢田くんとは親友のような存在になりました。
孤独だった高校生活はポケモン一色になりました。正月三ヶ日もひたすらポケモンの育成に時間を使いました。
振り返ってみるとポケモンが僕の青春になってしまいました。もっと恋愛とかしたかったなと思うことはありますが、親友ができた僕にとってポケモンの存在が大きかったです。
沢田くんとは高校を卒業しても年に2日か3日遊んでいます。10年間親友でいてくれて今もポケモンで対戦しています。
学生時代ほど育成に力を入れれませんが遊んでいます。
以上が僕にとってのポケモンの愛になります。
この作品は「♯ポケモンへの愛を語る」のコンテスト用に書いたものです。良かったなと思ったらスキの支援をよろしくお願いします
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