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小説好きです。エンタメ、文学芸術を見た感想多めです

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  • 自己紹介になるかもしれない日記

  • ゆるい地理とか歴史とわたし

    自分のアイデンティティを地理や歴史、郷土史と関連つけて考えてみる試みです

  • 読書感想文

    小説やエッセイなど読んだ本の感想文です

最近の記事

「借り物競争の紙」を作る時間

以前も書いたが、借り物競争はできた。 そのときの記事はこちら。 今回は、「借り物競争の紙」について。 学校や地域コミュニティーの運動会のイベントで、やった借り物競争。 あの紙はおそらく先生や大人が書いていたのだろう。 子供の頃はものを借りて、ゴールすることだけを考えていた。また、【ルールの中の競争】だから、それで特に問題なくできた。 今、「他人のチカラ」を借りるとき、また助けてほしいときに 頼み慣れていないので、なかなか頼みづらい。 でも頼まないと、キャパオーバーする

    • 10代のあの頃のあなたへ

      子供の頃から私は好かれようと、身近な人に愛想を振りまいていた。 手を上げて発言をするとか、委員長に立候補するとか、町のお祭りで自作の衣装を作り、賞をもらうとか。 目立つ、または褒められる行いを誰かに認められたくてしていた。 「あなたは生きているだけで充分なのよ」 そんなふうに言葉でも、言外でもメッセージを受け取れていたらどんなに良かったか。 親は子供を愛さなかったわけではない。 おそらく愛し方や接し方がわからなかった。また仕事が忙しかったり、村や社会からの重圧なんかもあ

      • グローバル

        グローバル化とかグローバル社会と言われ始めたのは20年前くらいと記憶している。 たしかに、日本もグローバル化し、新自由主義で競争社会に拍車がかかり、自己責任論も蔓延した。 私の住む地方都市でも、それを感じた20年ではあった。仕事ではノルマに追われ、たくさん稼ぐことが是とされた。 今でこそ優勢思想は良くないと、人権意識は変わってきた肌感覚はある。 だが、10年くらい前は病気で休職している自分にプレッシャーをかける発言をする人もいた。 厳しめの上の世代の方にハードな(今

        • うちの話

          私が産まれたときには、祖父母と両親と兄が居た。 祖父母は農業で生計を立てて暮らしていた。 農業だけでは私や兄を食べさせていけないからと父と母は会社勤めをしていた。 農家はお金がかかる。 農機具(例えばコンバインとか精米機)が必要だ。また、それら機材を保管するための、倉庫兼作業小屋も必要だ。 祖父から父にお金の工面の申し出があった。 会社勤めの父がお金を工面した。 安くはない。 母の給料が、家族の生活費に回った。 お金だけではなく、時間も費やす。 繁忙期の家族の休日は、

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        記事

          ある?ない?

          夢中になれているもの、あるといえばあるが、言うことを子供の頃からしてきてない。 言っても「そんなことが好きなの?」なんて言われたら、もう言いたくない。 何度かそういう思いをし、私は好きなことをあまり上手に人に言えない。 「好きだったけどそうでもなくなったもの」や、「今は好きだけど飽きそうだな」となるとまた言えない。 自信がなく、生きている。

          ある?ない?

          手すりを見失う

          つまずいた 手すりがあって歩ける感覚を持ちはじめたものの、歩けることを過信して、早足になっていた スタスタあるいているうちに手すりを放し、 自分ひとりで歩いて、疲れてうずくまった ときどき早足になり、道を見失う そのとき、混乱し、またやってしまったと落ち込む やりすぎなのだ 気づいたときには転んでいて、 転ぶ前にやめることができない 何度転んだかわからない でも初心に返り、またゆっくりと手すりを確認しつかまり、立ち上がり、歩く ゆっくりと ゆっくりと ゆっくりと

          手すりを見失う

          都会とか田舎とか地元とか

          先日、モデルで俳優の杏さんがめずらしくバラエティ番組に出演されていた。 フランスと日本の二拠点生活をされていることは知っていたが、その番組で、フランス移住の理由を話されていて、印象深かった。 杏さんは東京に生まれ育ち、 いわゆる”地元から都会に出ていく” ような経験がなかったという。 『地元を離れて旅立つ』挑戦をしたい  がどこを選ぶか… 行き先を考え (お子さんの学校のタイミングも合わせつつ) ニューヨークかフランスかと悩み、 『パリコレ出演もして、友人もいるフランス

          都会とか田舎とか地元とか

          曖昧になる。

          ホルモン補充療法をしてみた 寝汗がひどく、パジャマを着替えまくることも、指が痛いのも、どうにかならないものかとたどり着いたのが、この療法だった 人によって、やり方は少し変わるようなのだが、 医師と相談して 私は「貼るタイプと飲むタイプの薬」の併用で、この療法をやることにした 貼るタイプは違和感なくできていたが、 飲むタイプは副作用が強く出た 飲み始めてすぐに吐き気が始まり、1日中吐き気や気持ち悪さが付きまとった 日常が失われ、ただ吐き気に耐える時間を過ごしながら、「

          曖昧になる。

          再び出会うこの町

          旅から帰り、地元のことを調べる作業を進めている。郷土史を読んだり実際に足を運んだりする。 「地形の変化によりできた土地」とか、「排水のために作られた分水嶺」とか「自然災害に悩まされた箇所をどう、苦心して改良してきたのか」を知ると、そこにいるひとりのわたしが『長い歴史の中の小さな存在』に思える。 また今、街を再開発している地域や、街を再活性させるために取り組んでいる他人に会うと感心し、尊敬する。 では自分も「地域のためになにか協力できるか」と問うと、体力や元気が追いつかなく

          再び出会うこの町

          手すりがあるようだ

          赤ちゃんがハイハイしてつかまり立ちをして歩くまでに1.2年かかる 歩けるようになると世界はもっと広がり、行けるところも増える 背が伸び、成長し、自転車に乗れたり、車の免許を取れたらさらに世界が広がる 若いときに、上記のような経験をしたが、自分の力でやった気でいた 親からの援助があるとか、誰かのおかげでできていることばかりだけど、わたしが習得したことに重きを置いていた 病気で、仕事を止め、運転も危ないから止め、なんなら動くこと、起きることもままならなくなった しんどい時期

          手すりがあるようだ

          旅から帰る

          少し離れたところに度に出かけてきた 旅先の風景、食事、文化、普段と違う場所に身を置いた 旅先から、地元に思いを馳せた そして『地元のことをあまり知らないな』と感じた 子供の頃から、身近な人に 「この町は見るところがないしつまらない、観光する場所がない」 などわりと否定的な意見を聞いて育った 実際、つまらないと思った時期もあった 学生時代、地元を離れる友人も多くいた (自分も悩んだが地元に残った) でも、今回旅をして、角度を変えて地元を見たら、 「良いところはあるし、

          旅から帰る

          いちごは好きですか

          以前書いた記事、「アメリカ村って…」の中で 好きな飲み物を矢継ぎ早に聞かれ、驚いたエピソードがあるのだが、 たとえば、今「いちごは好きか?」 と聞かれたら「YES」と答える さらに「いちごのどこが好きか」と聞かれたら ”甘酸っぱい”とか”種類が豊富”とか”あの形の可愛さ”など、味や見た目や種類について、自分は答える で冒頭の「アメリカ村」に行った話に戻る その家でいちごの話にもなり、そこに住む家族のひとりが 「いちごは好きだけど、ショートケーキに乗っているいちごはイヤ

          いちごは好きですか

          繋がりたい「けど」

          前回の記事、【私とペットと〇〇と】で、 ペットが介在すると少しだけ社会参加できる趣旨のことを書いた じゃあ活動的になれるかというとなれない これはペットに限らずなのだが、 「精力的に関係を広げていく」とか「仲良くなるなる」など前へ前へとはいけない 『繋がりたいけど、怖い』 では何が怖いのかといえば【傷つくこと】だ 過去の傷つき体験が今の自分に影響をもたらしている部分もあるし、性格的なものもあるのだと推測している 一般論で、「生きていれば傷もつくし、逆に傷つけることも

          繋がりたい「けど」

          私とペットと〇〇と

          ペットを飼っている 普段エサをあげたり、トイレの始末をしたり、お世話をする ペットも慣れてくれて 【機嫌が良ければ、怒らず撫でさせてくれる】くらいの距離感の関係だ 子供の頃、近所の飼い犬(当時は玄関わきや庭の犬小屋にいた)に会いに行き、「可愛い」とか「吠え方がスゴイ」とか思ったことを親や祖母に話していた 「私も飼いたい」と言ったが、家族のアレルギーを理由に希望は却下された  飼えないとわかってから、ぐっと我慢しつつ近所の犬に会いに行き、見ていた 大人になり、ペットを飼う

          私とペットと〇〇と

          自分の村

          アメリカ村から帰ってきて、 自分の村が「よい、わるい」で判断することではないのに、よくない村のように思い、自分の村をいっとき粗末に扱うようになった 村から出ようと躍起になったり、言葉が荒くなったりした 【それぞれ文化が違うだけなのだ…】 その村から何を学び、選び、自分がどういう仲間と村を作っていくのか、自分が決めていいという考えにいたるまで時間がかかった 自分の村の「ここはイヤだったな、でもあれは良かったな」という思い出や記憶は自分のものだ その記憶を見直して、

          自分の村

          アメリカ村って村があるそうで

          大阪にあるアメリカ村ではなく、比喩としてのアメリカ村のお話   私は地元の大学に進学したのだが、全国各地から、また海外から留学生として、いろんな人が集まった 育った環境も、家族構成も似ているような人もいれば違うなぁと感じる人もいた まず、言葉のイントネーションが違うことに驚いた また地域によって性格も変わるのではないかと思うくらい、なんだか性格も距離感も違う気がした いろんな人と関わることで自分の育った環境を違う角度から視ることができた経験は良かった  私は、いわゆる

          アメリカ村って村があるそうで