手すりがあるようだ

赤ちゃんがハイハイしてつかまり立ちをして歩くまでに1.2年かかる
歩けるようになると世界はもっと広がり、行けるところも増える
背が伸び、成長し、自転車に乗れたり、車の免許を取れたらさらに世界が広がる

若いときに、上記のような経験をしたが、自分の力でやった気でいた
親からの援助があるとか、誰かのおかげでできていることばかりだけど、わたしが習得したことに重きを置いていた

病気で、仕事を止め、運転も危ないから止め、なんなら動くこと、起きることもままならなくなった

しんどい時期だった
立ち直れないと思ったし、深く損なっていたし、どうすることもできなかった

そのときから20年近く経つ
その間に、医療や福祉のちからに頼り、カウンセリングを受けてきたが、ここ数年、『手すりがある』ような感覚を持ててきている

もちろんときには手すりなんてないというときもある
でも「手すりがあればなんとか歩ける」、そういう安心感が少しある
どの箇所にも手すりがあるかといえばそうではない

バリアフリーがすべての場所にあるわけではないように私の中のバリアフリーもいつもどこにもあるわけではない
でもたまに、うっすら手すりにつかまれば前に進める、そう思えるときがある

ひとりでは歩けなくても、手すりの力を借りてならという「なにか」をつかんできている
カウンセリングでやってきたこと、技法のどれがどう作用して、こう思えるようになっているのかわからない

病気が治ったわけではない
痛みが消えたわけではない

でも手すりにつかまって歩こうと思えている

時間はかかるし、そんなにすぐにできないけど時間をかけたから獲得できたことだ
手すりがあって、ゆっくりだけど歩けることをまた味わえているということをしっかり噛みしめたい



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