自分の村

アメリカ村から帰ってきて、

自分の村が「よい、わるい」で判断することではないのに、よくない村のように思い、自分の村をいっとき粗末に扱うようになった
村から出ようと躍起になったり、言葉が荒くなったりした

【それぞれ文化が違うだけなのだ…】

その村から何を学び、選び、自分がどういう仲間と村を作っていくのか、自分が決めていいという考えにいたるまで時間がかかった

自分の村の「ここはイヤだったな、でもあれは良かったな」という思い出や記憶は自分のものだ

その記憶を見直して、

嫌なものは嫌と今は言えるようになってはきている
いいところもあったよねと語れるようにもなってきている

村から出て新たな村を作っている

たしかにもとの村に影響は受けたけど今は自分が選んだ場所で、心地良いものに囲まれるように作り上げているのだと、あらためて認識している

まだまだ村作りは続いていく道中だ







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