うちの話

私が産まれたときには、祖父母と両親と兄が居た。
祖父母は農業で生計を立てて暮らしていた。

農業だけでは私や兄を食べさせていけないからと父と母は会社勤めをしていた。

農家はお金がかかる。
農機具(例えばコンバインとか精米機)が必要だ。また、それら機材を保管するための、倉庫兼作業小屋も必要だ。

祖父から父にお金の工面の申し出があった。
会社勤めの父がお金を工面した。
安くはない。
母の給料が、家族の生活費に回った。

お金だけではなく、時間も費やす。
繁忙期の家族の休日は、農業の手伝いに費やされる。

特に田植えの時期はGWのお出かけはせず、苗箱洗いをしていた。

見えるのは、山と川と田んぼと空。 
土の匂いがする。虫がいたり、田んぼの水面のアメンボを見たりして苗箱が空になるのを待っている。

祖父がコンバインに乗り、びゅんびゅんと稲を植えていく。
そこからが私の手伝いだ。母と兄と一緒に。
稲を保管していた箱が空いたら、それを作業小屋の横の水道まで苗箱を歩いて運び、ジャバジャバと洗う

天日干しをして、乾いた苗箱を重ねて置く、
そこまでが子供の私が手伝ったことだ。

のどかで静かで、ときどき鳥が鳴いている。
そういう場所で過ごすGWは今思うと悪くない。

当時は、友達がGWに出かけた話を聞くと羨ましくもあった。
親は、祖父母のお金の工面の苦労をぼやき、子供である自分は大人が仲良くしてほしいと思っていた。

自分の置かれた環境で生きるしかない子供時代、自然の中で育てて良かった。
でも好きなことはできていなかった。

それは、場所の問題ではなく、
【好きなことをしていいと思っていいか】
という母と私の情緒の問題だったと思っている。




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