エッセイ【私はガラスのハート。】ⅱ〜直そうとするほど、ボロが出る〜
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出る杭
中学生の頃、私はソフトテニス部に入っていた。
幸い、他人の動きを分析してひたすらに真似る能力はあったようで、一年では1番初めに先輩とダブルスを組ませてもらった。
大きな声を出し、一生懸命に頑張る、ということに特化していたので、自分1人の能力はそこそこ伸びた。
しかし、同学年の子達とはずっと馴染めなかった。
『ひとりでなに頑張ってんの』
何頑張ってんの、ですか...
上手くなるために頑張っているにすぎない。
そしてそれは周りも同じだと思っていた。
しかし、そうではなかったようだ。
新人戦が終わり、代替わり。
私は完全に孤立していた。
誰からも口を聞いてもらえず、アップで走るだけで陰口を叩かれるようになった。
(聞こえているので厳密には陰口じゃないのかもしれないが)
部内試合では、誰も私とは戦ってくれなくなった。
「強いじゃーん、練習試合なんてしなくても大丈夫だよ。」
そんな訳ない。
いつからか、私は後輩の指導係として全力を尽くしていた。
"不真面目な同期から何も教わらずに代替わりになってしまったら、この部は崩壊する。"
私には謎の使命感があった。
後輩と同時にアップをし、一緒に準備、片付けをして、雑務のコツを教えられるだけ教えた。
そんな中、私のこの行動も気に食わなかったらしい部長とその周りの子達は、「1年が可哀想」と吐き捨て、先に帰り、遅く来るのであった。
この頃には、部内でいち早く覚えた審判もできなくなっていた。
ボールが目で追えない。
いや、追ってはいるのだが、どうにもいつの間にか得点が変わっている。
この頃には、顧問も異変を察知していた。
顧問は同時に担任でもあった。
3者面談では毎回、部内でのいじめの話で持ちきりになり、担任はいつも「僕のせいです」と親に言っていた。
この件で悪い人などいない。
ただ自分が、他のメンバーと馬が合わなすぎただけ。
自分が周りより少しやる気がありすぎただけ。
気に食わない気持ちも当然生まれるだろう。
今思えば私は、完全にうつだった。
担任である顧問には、相談室に通え、と執拗に迫られた。
当時の私はかなり他責が強く、全ての根源は顧問である担任の責任だと思っていたので、
私がなぜ相談室に行かなければいけないのか、
何を相談しろと言われているのか、
さっぱりわからなかった。
だって、自分はがむしゃらに頑張っていただけだから。
出る杭は打たれると言うが、まさか自分がその出る杭になるとは、
そして打たれているとは。
私は自覚もなく打たれる杭だった。
いや、もしかしたら内心では薄々勘づいていたのかもしれない。
それに気付きたくなかった。
毎日、負けたくない一心で泣いた。
他人の足を引っ張ることでしか自分の価値を見出せない人間にはなりたくなかった。
最終的には、口頭での指示をすっかり忘れて、自分の代の新人戦当日の練習に遅刻するという大失態を犯し、私は立ち直れなくなった。
打たれすぎた杭は、引っ張り上げようにも難しい。
私はこれを機に部活を辞めた。
ガラスのハート
私はテニスが大好きだった。
ボールを打った瞬間のシュコーン!という、独特の音が好きだった。
(ソフトテニスは、打った時に軽やかな音がします)
ただただ、ボールを打つことにこだわった。
左利きなのに、軸足が左なので、右打ちを練習した。
始めは全然上手く打てなくて、家でも校庭でも泣きながら練習した。
昔から競争するのが好きだったので、周りの先輩や同期に勝負を吹っ掛けては、負けることの繰り返し。
特に私は、負けそうになると焦りでパフォーマンスが如実に下がる。
その結果負けることが多かったため、さらに自己肯定感を削がれていった。
"自分はいくらやっても、みんなより上手くなれないんだ"
最終的に、技能面では県大会上位で戦うような人とまともに試合ができるような技術は身についた。
そこでまた浮上するのが「ガラスのハート問題」。
どうしても緊張すると、打てない。
焦って打てない。
いつもの、大好きなシュコーン!という音がしない。
後輩に対しても、少しでも不利な状況になると、泣きながら試合に臨んだ。
側から見れば、情けない先輩だ。
部内でのいじめが認知され始めたとき、初めて顧問に相談した。
「どうすれば焦らずに済むのか。涙が出てこなくなるのか。」
顧問は「自分の芯を強く持て」と言った。
〇〇な状況の時だけは決める、
サーブだけは常に入れるようにするなど、
プレーの中で極力感情を排除することが求められた。
私にはそれができなかった。
意識しないようにすることなどできないし、そもそもそれを意識するだけで改善するようなら、もう既に自分で実践して出来ているはずだ。
日々悩み、ボロボロになって、やっと相談して得た答えがこれか。
これが当時の私の本音だった。
試合を重ねるたびに砕かれる“ハート“は、もうこれ以上粉々にならないくらい、ボロボロになっていた。
ガラスのハート。
砕かれたガラスが、そのまま元の形に戻ることはない。
同じ材料でまたハートを作るのであれば、
高温で熱して溶かし、
形を整え、
冷ますという作業が必要となる。
これは心でも同じような気がする。
傷ついた心は、もう元の形に戻ることはない。
傷のカケラを一つ一つ集めて、
たくさんのエネルギーを注ぎ込んで(カウンセリングなどで自分と向き合い)
新しい“ハート“を作り、
それに少しずつ慣れていく。
私の場合は、PTSDというところまではいかないが、トラウマとして、「心の傷」として、ふとした時に思い出される。
それまで大好きだったテニスは、見ることも辛くなった。
あんなに好きだった音が、怖くなった。
音の質が変わる瞬間。ラケットが折れる瞬間の感覚。同時に自分の負けを確信したあの一瞬が、どうしても思い出される。
それでも、どうしてもあの打った時の感覚が忘れられなくて、高校での体育の選択ではテニスを選んだ。
丸3年のブランクがあると、当然あの頃のようには打てない。
それでも、ボールの柔らかい感触、サーブを打った瞬間から、コートにボールが着地するまでの緊張感。
思い出すあの頃の記憶。
辛い記憶もたくさんある分、続けてきて良さを感じた記憶も沢山蘇ってくる。
ガラスのハートを持つ人は、辛い経験によって砕かれると、そうでない人に比べ再生するのに膨大なエネルギーが必要となる。
私自身もまだ完全に消化しきれた訳ではないが、
自分を知り、
記憶を整理し、
客観的に行動を見つめることで、
この経験も、新しい「ハート」を作る“最強“の材料になると思っている。
お読みいただき、ありがとうございました。
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