「神は死んだ」後の『キングダム・オブ・ヘブン』
19世紀の歴史家ブルックハルトに「玉座に位した最初の近代的人間」と称された神聖ローマ皇帝フリードリッヒ2世率いる第6次十字軍はかくして、大きな戦闘もなしに、外交交渉のみで聖都エルサレムのキリスト教徒側への奪還に成功する。
1229年2月11日。現代より約800年前、「暗黒の中世」と言われる時代の話だ。
2023年12月現在、未だに戦禍の絶えないパレスチナの現状を思うと、まさに「世界の脅威(stupor mundi)」と言わざるを得ない。
キリスト教、イスラエル教それぞれの俗世界が頭の良い、「話の分かる」名君同士だったことが大きい。
フリードリッヒの父方ホーエンシュタウフェン家は、神聖ローマ皇帝フリードリッヒ1世を出した南西ドイツのシュヴァーベン地方の名門。「赤ひげ(バルバロッサ)」のあだ名で知られる、フリードリッヒの祖父にあたる男だ。
母方のアルタヴィッラ家は、シチリアに帰化したフランス系ノルマン人領主の家系。フランスのノルマンディー地方に移住したノルマン人の一部がさらに南下し、当時イスラム教徒が支配していたシチリアを奪還、再征服、そのまま定住した。
幼少期のフリードリッヒは、このシチリア島の多文化、多宗教、多民族の風土の中で育つ。シチリア島は古代から異なる文化、宗教、民族が交わる交差点であり、それらが互いに排除されあうというよりは、オーバーラップし、混ざり合い、共存していた。当地のイスラム教徒が異教徒に寛容な支配を敷き、その後再征服したノルマン人も寛容路線を貫いたからである。
そのシチリアの雰囲気の中で育ったフリードリッヒは、異文化に対する偏見とは無縁だった。ヨーロッパの諸言語だけでなく、アラビア語やヘブライ語など、異教徒の言語にも精通していた。だから当時の先進文明であったオリエントの書物や人物と直接接触することができ、彼の宮廷は様々な土地、民族、宗教をバックグラウンドにする知識人が集められた文化サロンと化していた。そこでの対話を通じてフリードリッヒの精神はより偏見から自由になり、当時はオリエントでよりよく保存されていたギリシャ・ローマの文化からヒントを得て(キリスト教化したヨーロッパでは、異教徒のギリシャ・ローマの書物は排除された)、政教分離と法治主義に基づく国作りを進めることができた。
冒頭に上げたエルサレム無血開城の交渉も、実は通訳無しで行っている。だからこそイスラム教徒の使節と親しげな雰囲気の中、緻密で冷徹な駆け引きと交渉が可能だったのだ。
頑迷と偏見から無縁だったのは、イスラム教徒側のアル・カミールも同様だった。アユーブ朝のスルタンで、開祖はかの高名なサラディン。イスラム世界の少数民族出身ながら、対立しがちだったバグダッドのアッバース朝(スンニ派)とカイロのファーティマ朝(シーア派)を大同団結に導き、第二次、第三次十字軍と戦った名君だ。
アユーブ朝は、カイロのカリフ(聖職者のトップ)をあえて空位のままにすることで、自身の支配地域での政教分離を成立させていた、現実主義の政権だった。イタリアの海運国家を通じた交易もあり、異文化への偏見から自由だった。
このように、対立する両者の首脳がともに一流の頭脳と精神であったからこそ、交渉をして現実的な落としどころを探ることができたのだ。
利害が一致した、ということもある。
ホーエンシュタウフェン家の当主であり神聖ローマ皇帝であるフリードリッヒは十字軍とエルサレム奪還に対し意欲はあり、責任を感じてはいた。しかし今までのように戦争によってそれを成そうとは考えていなかったし、早めに目標を達成して自領南イタリアに帰って理想の国作りに邁進したかった。
アル・カミールは実弟を相手にした内紛があり、キリスト教徒と戦っている暇は本当のところなかった。交渉によって決着がつくならばそれに越したことはなかったのだ。
2005年の映画『キングダム・オブ・ヘブン』では第二次十字軍の時代、アル・カミールの祖父サラディンが十字軍国家イスラエル王国からイスラエルを奪い返す過程が描かれている。
最終的には和平交渉し、籠城側のキリスト教徒が街から出ていくことになるのだが、その際に主人公バリアン(オーランド・ブルーム)とサラディン(ガッサーン・マスウード)との間で興味深い問答がなされる。
もちろんフィクションだ。
また、名映画の中の名優たちのワンシーンのセリフだけを抜き出したところで、どうしても無味乾燥な印象になってしまって情けない。
しかしイスラム世界の俗界の当時のトップだったアユーブ朝の男たちが、聖地エルサレムをどのように考えていたかを如実に表す、好演ではあったと僕は思う。
今のパレスチナでの惨劇は、あまりにもひどい。シェイクスピアではないが、「最悪と言えるうちはまだ最悪ではない(『リア王』)」とすら思えてしまう。一時停戦になった時は、ここから交渉して和平が成るかと思ったのに、停戦期間が終わるとまた戦いが始まってしまった。
「戦い」、といったけれど、個人的にはもはや一方的な「ジェノサイド」になっている印象がある。ハマス側にもはや反撃する余裕があると思えないのに、戦闘は終わらない。戦闘が始まった当初はガザ北部を空爆していて、住民には南部への避難を警告していた記憶があるが、いまやその南部も平気で爆撃の対象にされている。学校や病院も攻撃の対象にされ、ハマスの広報が正しければ、人質の何人かも犠牲になった可能性がある。そもそもの開戦の原因になった、拉致された人質たちのことだ。
もしかしたらイスラエルは、ガザからイスラム系住民をすべて追い出し、更地にしてしまいたいのかもしれない。ハマスを追放したところで、パレスチナ内のイスラム系住民の自治区を取りまとめる組織がいなくなってしまえば治安はかえって悪化するし、瓦礫の山にユダヤ人を入植させる気があるとも考えづらい。
あの辺りは天然ガスが出ると何かで読んだので、もしかしたらこの機会に更地にして、あらたに採掘場を立てるつもりなのだろうか。ウクライナ問題でロシアからのパイプラインが今後どうなるか分からず、スエズ運河と紅海の治安も怪しい情勢の中、ヨーロッパの石油、ガス市場は売り手市場になるだろう。そこに売り込むつもりなのだろうか。
国際政治も経済も、正直なところ僕にはよくわからない。
ただすごくシンプルに、戦争は止めたほうがいいと願うだけだ。それも特に、片方が片方を一方的に蹂躙するような非道なものは。
このスピーチを覚えている方も多いだろう。
2008年に村上春樹がエルサレム賞受賞時に行った、「壁と卵」のスピーチだ。長いけれど、できる限り削除せず、そのまま引用した。
この演説から15年経った今でも、パレスチナでは同じような蛮行が続いている。それもより「冷たく、効率よく、そしてシステマティック」に。
手を下している当事者たちも、ある意味では「かけがえのないひとつの魂と、それをくるむ脆い殻を持った卵」と言えなくもない。手塚治虫の名作『アドルフに告ぐ』に印象的なセリフがある。
敗色濃厚な戦争末期、自身の暗殺未遂事件後に錯乱する総統を目の当たりにしつ当惑するナチス青年将校アドルフ・カウフマンを、ゲシュタポ幹部だが冷徹に現実をみるアセチレン・ランプが叱責して放つセリフだ。
このメカニズムは、村上演説の「システム」と通じる部分がある。歯車になってしまった個人はもはや止まれない。後ろの歯車によって動かされてまわり、前の歯車を動かすだけ。全体のメカニズムを把握することなどできず、抗おうとしてもそれは「壁」のように立ちはだかり、「あまりにも高く硬く、そして冷ややか」に「卵」を拒む。「卵」は結局歯車として、狂った蛮行をさせられてしまう。
ここでは「メカニズム」や「システム」が国家というハードなものとして現れたけれど、より目に見えず、より普遍的で、より逃れられないものもあり得る。
例えば、「正義」。そして、「復讐の連鎖」。
『アドルフに告ぐ』の最終盤では、第二次世界大戦後のパレスチナでの戦争が描かれている(第35章)。
両者がそれぞれ自分達の利益を守ろうとする。お互い一歩も妥協できない。だから結局戦争になる。
しかし人を殺すのは大罪で、罪の意識を消すための「何か」が必要になる。それがある時は「正義」であり、ある時は「宗教」「民族」になる。村上が言ったように、「我々がシステムを作った」のだ。
しかしいつの間にか、「システムに我々を利用させ」てしまう時が来る。システムを利用していたつもりが、逆にシステムに取り込まれ、個人ではどうにもならなくなってしまうのだ。
そして歯止めの効かなくなった対立する両者の間に、正義の最も原始の形のひとつ、「復讐」の女神が忍び寄る。そして復讐は、ギリシャ悲劇のオレステイア3部作(アイスキュロス)のように、必ず連鎖する。戦争が長引けば長引くほど復讐の連鎖は長く連なり、広く繋がることになる。それも、無尽蔵に…
ユダヤ人のナチス狩りを逃れてパレスチナの反イスラエル組織に身を隠すカウフマンは、それを身を持って経験している。
「かけがえのないひとつの魂と、それをくるむ脆い殻を持った卵」が、最後に残した言葉。
そして僕らは自分自身で作り出した壁から自由になる術を、未だに見つけられないでいる。
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