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我が子への余命宣告。そして僕は難病を愛することにした。

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ただ「親の想い」を残し 我が子へ 我が子達へ 多くの人へ伝えていきたい 親として難病と向き合い 何を感じ どう行動したかを 「優しくされる事で、本当の優しさを知った」 「我が…
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#アラジール症候群

我が子への余命宣告。そして僕は難病を愛することにした。

我が子への余命宣告。そして僕は難病を愛することにした。

平成16年10月 真翔(まなと)は我が家の3男として生まれた。

 真翔が生まれてくるのを僕も妻もお兄ちゃん達もとてもドキドキして待っていた。
そして真翔が生まれたとき本当にみんなが大喜びで、
上のお兄ちゃんは、僕が報告する前に嬉しくて幼稚園のお友達や先生に真翔が生まれたことを報告したり。
下のお兄ちゃんは、初めての弟に少し緊張していた。

生まれたときは少し小さ目の2684g。
その後一ヶ月検診

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医師でも知らない難病

医師でも知らない難病

翌日の朝、念のためにかかりつけの個人病院へ行き昨日あったことを全て話すことにした。
不安を取り除く為に採血検査もした。白血球の数値が少し高いが特に何も異常がないという事だった。
やっと不安もなくなりホットして帰宅したのだが、
その晩、採血をしたところの血がまだ完全に止まっておらず、慌ててかかりつけの病院へ連絡、医師から「至急来てください!」病院へと駆け込む。
(採血してからは8時間以上経っていた)

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アラジール症候群

アラジール症候群

・肝臓内の肝細胞その中の胆管が少ない
・心臓の動脈が細い(肺動脈狭窄)
・背骨に黒い筋がみえる(脊椎蝶形)
という診断を受け、医師から伝えられた病名は
「アラジール症候群」

(前回の話し⬇︎)

全く聞いたこともない病名だった。
入院してから色々買い集めた病気の本などにも載っていない珍しい病気。病気の深刻さや大変さが全くわからない。

 正直、病名を聞いたときの感想は覚えていない。病名を聞いては

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お出かけをする理由

お出かけをする理由

真翔の退院後。
お出かけが多い我が家。
「病気の子を連れ回して・・・」と思う方もいるだろう。

前回の記事は⬇︎

入院中の病院生活
窓から見える何気ない景色や青い空
そんな景色でも真翔に見せてあげたくて窓辺へ連れて行った・・・
そう 当たり前の景色かもしれない・・・
でも当たり前に見れないこともある・・・
病院内から見れる数メートルしかない四角い景色
窓の向こうの景色の広さを知らない子だっている

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そして少しづつ難病を受け入れていく

そして少しづつ難病を受け入れていく

 移植は高度な医療である事も理解はしている。今ではリスクも減ってきており、術後体調が良くなる子が多く、移植という医療を否定している訳ではない。
(ここ数年の医療の進化には本当に脱帽である。)

 伝えたいのは移植に至るまでの「親の想い」や「家族の想い」、「医師の想い」も知って欲しいという事。
僕の経験は15年以上も前の事なので、現在の感覚とは違うかもしれないが、親は我が子の為に「藁をも縋るおもい」

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そして僕は難病を愛する事にした

そして僕は難病を愛する事にした

決して難病を好きになる事なんてできないけれど、
難病の我が子を愛し、難病を通して多くのことを学び、難病を少しづつ受け入れていかなければいけない現実と向き合う。

「アラジール症候群」を知って貰わないと、何も始まらない!

でも病気の事を、ましてや難病の事を、多くの人に伝えようとすると、難しく受け取ってしまったり、深刻に受け取ってしまったり、中々「想い」が広がっていかない。

では、
どう伝えればよ

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講演:「そして僕は難病を愛することにした」

講演:「そして僕は難病を愛することにした」

このタイトルで講演をすることになるとは✨
素敵な機会を頂き有難う御座います🍀

平日の昼間にも関わらず、
講演「そして僕は難病を愛する事にした」を、ご視聴頂いた皆様、本当にお忙しい中 お時間を割いて頂きありがとう御座いました🍀

あ〜 緊張した😆
セミナーの申し込みは最終的に1000人を超え、実際に視聴いただいた人数も800名に迫る数だったようです😳

初めてのハイブリット形式での講演。

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