「日常」に心奪われる瞬間を求めて
さて、唐突ですが、「日常」とはなんぞや。
我らがWikipedia先生によると、
(「日常」の項目はなかったので「日常生活」を参照)
日常生活(にちじょうせいかつ)は、毎日繰り返される生活のこと。
具体的には、日々の生活の中で繰り返される出来事や習慣的動作、そこで用いられる物の考え方や知識(常識)、接する物品(その一部は日用品と呼ばれる)などから構成される。
とのこと。
なので、
当たり前の当たり前太郎ですが、
自分の日常は、他人の日常とは全然別物。
とくに風土や文化が違えば、そりゃもう恐ろしいほど違います。
「日常」、なかなか奥深いですよ。
ということで今日は「『日常』に心奪われる瞬間を求めて」というテーマで僕が何度も旅をしている理由について話してみたいと思います。
【今日のまとめを先に】
✅旅をすると「日常」を相対化できる
✅自分の中で何かが変わる瞬間を求めてる
日常が相対化された先で感じるもの
僕が旅に出る理由は至ってシンプル。
「変わりたい」
から。
昨日まで知らなかったことを知っている自分に変わりたい。
勇気をもって一歩踏み出した自分になりたい。
いろんな人に出会って、もっと広い世界を見渡せるようになりたい。
などなど。
時にそれを成長と呼んだり、価値観の変化と呼んだりしますね。
とにかく、変わりたくて、旅に出てます。
そんな感じで何度も旅をしてきましたけど、
自分が一番自分の変化を感じることが多いのは、
「日常」を見た時なんです。
たとえば、
ベトナムで線路の上の日常を見た時。
たとえば、
香港で路地裏の日常を見た時。
たとえば、
アイスランドで広大な自然に溶け込む日常を見た時。
たとえば、
ウガンダで道も舗装されていない赤土の日常を見た時。
たとえば、
エジプトのスラム街でゴミの臭いが渦巻く日常を見た時。
その度に、
「世界にはこんな『日常』があって、僕の『日常』は決して当たり前ではないんだ」
そう思うんです。
旅に出て、いろんな人に出会い、風景に出会い、
その土地の「日常」を知ることで、「日常」は相対化されます。
そして、「日常」が相対化された先で、
僕はいつも
自分の中で何かが変わった感覚
を味わいます。
何が変わったのかと聞かれれば、何が変わったのかはわかりません。
けど、あの時あの場所で、
確実に自分の中の何かが変わったんです。
僕はそんな瞬間を求めて、これからも旅をします。
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