今年(2020年)は新型コロナウイルス(covid-19)が世界中で猛威をふるった。海外渡航に制限が掛けられ、旅を純粋に楽しもうとする我々一般の人間は海外への渡航の機会が断たれた。毎年、海外へ行くことを楽しみにしていた私にとっても、この2020年は海外へ行かなかった年として不本意ながら記録されることになった。 そんな折、私はこの旅のエッセイを書くことにした。旅が出来なかった年だからこそ、今までの旅を振り返るいい機会だと思ったからである。それだけではない。まえがきでも触れ
今回の旅のエッセイを通して私の旅の体験談と旅に対する思いを綴ってきた。最後に、逆に私が旅人を迎える側の人間として体験したことを書いてみたい。 2014年9月。よく晴れた土曜日の午前中。私は埼玉県飯能市の辺りを一人、車を走らせていた。ここから私の自宅のある埼玉県小川町へ帰るために、である。 ちょうど前方、左側の路肩沿いに、リュックサックを背負った二人組がヒッチハイクをしているのが目に留まった。彼らはヒッチハイクの時にするお馴染みのポーズを取り、1台1台の車に訴えかけて
ハンガリーの首都ブダペストに到達した。玄関口の空港はハンガリー出身の音楽家であるリストにちなんでリスト・フェレンツ空港という(ちなみに一般的に我々が耳にする「フランツ・リスト」はドイツ語読み。ハンガリーは日本と同じように名字が先、名前が後である)。 私は空港から市内の中心に向かおうとバスに乗った。バスでまずはクーバーニャ・キシュペシュトという地下鉄の駅まで行って、そこから地下鉄3号線で市内中心部に出る必要がある。 バスがクーバーニャ・キシュペシュトに着くと、私は地下
トルコの最大都市イスタンブールは「東西文明の十字路」と言われている。地理的に街のほぼ中央に位置するボスポラス海峡がヨーロッパとアジアの境目だと言われているからである。私も船に乗ってボスポラス海峡を渡った時は、今まさにヨーロッパからアジアへ渡っているのだ、と感激したものだった。 もちろん、「東西文明の十字路」と言われているのは地理的な理由だけではない。例えば、イスタンブール観光のハイライトであるアヤソフィア。ここはイスタンブールが東ローマ帝国の首都であった時(コンスタンチ
台湾では数々の親切に触れることが出来た。私は台北から九份という小さな山沿いの街に向かった。まずは台北から鉄道で40分程掛けて瑞芳という駅で降りた。改札を抜けた所に観光案内所があったので、九份行きのバスは何処から出ているのか聞いてみた。私は九份の中国語読みが分からなかったので、試しに「キューフン」と日本語読みで言ってみた。すると案内係の女性は慣れているみたいで、すぐにバス停を教えてくれた。恐らく日本人観光客がよく来るのかもしれない。 私は彼女に教えてもらった通りバス停に向
ワイン派であるとか、ビール派であるとか、そんな議論をしたことはないだろうか? 私はもともとビールよりワインのほうが好きだった。「もともと」というのは20代の頃のことである。記憶を辿れば、その頃(1990年代前半)はビールと言えば日本の大手4社のビールしか飲んだことがなくて、それらのビールは飲み終わった後に感じる「米臭さ」がどうも苦手だった。しかも温まってしまえば、それだけで飲む気が失せてしまう。それに比べてワインは口に含んだ時の豊かな香りがとても好きだった。 しかし
2000年の時点で私が行った国と言えば、フランス、イギリス、ポルトガルの3ヶ国だ。実は私はこの3ヶ国でビールの美味しさを知ってしまったのだ。フランスとポルトガルはビールの国ではなくワインの国。このワインの国で飲んだビールが美味しかったのだ。ワインの国で飲んだビールが美味しいなら、ビールの国で飲むビールはもっと美味しいだろう。そう思うと、ビールの国へ行ってみたくなった。それで私は2007年にチェコ、2010年にドイツを訪れた。 チェコは一人当たりのビールの消費量が世界第1
ムスリム(イスラム教徒)にとって飲酒は基本的にご法度である。「基本的に」ということは、要するに抜け道があるということだ。 イスラム教が国教のチュニジア。この国にはイスラム教国なのにセルティアという国産のビールがある。まあ、イスラム教国と言ってもチュニジアを含むマグレブと呼ばれる北アフリカ諸国では中近東に比べて戒律はかなり緩い。レストランではアルコールを置いている店は多い(もちろん、アルコールを置いていない店もある)。しかし、レストランでは置いていても、スーパーなどで気軽
私が初めてパスティスを飲んだのはいつだろう?2回目のフランス訪問の折、つまり1995年12月だろうか…。それとももう少し前か…。 その頃、日本では空前の南仏ブーム、プロヴァンスブームが続いていた。イギリスの作家ピーター・メイルが書いた「南仏プロヴァンスの12ヶ月」という本が日本でも話題となり、南フランスの生活スタイルなどが注目された。その本の中で取り上げられていたのがパスティスである。私も初めてフランスを訪れたのが1992年だったこともあり、多少フランスかぶれになってい
海に囲まれた島国で育った我々日本人は魚に対して相当思い入れがある。一つ一つの魚の種類を区別することはもちろん、稚魚と成長魚も別の名前を付けて区別する。それだけ日本人にとって魚は馴染みのあるものなのである。 一方、マルタ。こちらは地中海に浮かぶ小さな島国。日本と同様に海に囲まれているので、魚介類は人々の生活にとって馴染み深いものである。 そんなマルタを私も訪れたことがある。宿を取ったのは首都ヴァレッタからバスで20分位の所にあるセント・ジュリアンズという街である。ヴァ
オランダの首都アムステルダムから列車で25分程。私はユトレヒトに到着した。この街は美しい運河が流れるオランダ第4の都市である。 列車を降り、駅構内を歩いていると、びっくりする光景が目に飛び込んできた。一見したところ小さなコインロッカーのように見えるが、それは自動販売機だった。しかも何の自動販売機かと言うと、何とコロッケである!コインロッカーのように扉が沢山あり、1ユーロ硬貨を入れると扉が開く仕組みになっている。そして我々は中に入っている熱々のコロッケを取り出せばいい。ち
ハンガリーの首都ブダペスト。空の玄関口であるリスト・フェレンツ空港に到着したのは18:00頃だった。空港からはバスと地下鉄を乗り継いで、今晩泊まるホテルがある街の中心部へと向かった。ホテルへ向かう道すがら、多少右往左往してしまったので、ホテルに着いたのは20:00近くになってしまった。 さて、これから何か夕食でも食べに出掛けようか…と言っても、もう20:00。日本時間なら朝というか真夜中の3:00である。先程まで日本時間に慣れていた私は、とてもじゃないがそう多くは食べら
トルコ料理はフランス料理、中国料理と共に世界三大料理の一つとされている。オスマン帝国が最も華やいでいた頃、宮廷料理として発展を遂げたのが今のトルコ料理の原型と言われている。 そんなトルコ料理。最も名が知られているのが、やはりケバブだろう。ケバブとは要するに肉である。羊か鷄か、あるいは牛。豚は食べない(トルコはイスラム教のため)。それらの肉を炭火で焼く。ケバブの中ではドネル・ケバブが有名だろう。大きな肉の塊を回転させながら焼く。それを薄切りにして供される。食べ方は色々ある
クスクスという料理をご存知だろうか?挽き割り小麦に肉だの野菜だの豆だのが入ったスパイシーなスープを掛けて食べる料理のことである。北アフリカの料理であるが、私は南フランスの街マントンで初めてクスクスを口にした。 挽き割り小麦はそのままでは味はしない。また、一見したところ少量に見える。しかしスープを掛けると深い味わいになる。独特の香辛料がクセになるのだ。そして初めは少量に思えた挽き割り小麦がスープを掛けることによって膨らんでくる。それを腹の中に入れるとさらに膨らむ。食べてい
南フランス。コート・ダジュール地方の街マントン。メインストリートのサン・ミッシェル通りから少し入った通りに田舎料理のレストランがあった。夕食時、私は店に入ると、窓際の席に案内された。メニューを見ると、何と「Lapin(ウサギ)」があった。私はそれまでウサギを食べたことがなかったので、興味本位で頼んでみた。 出てきた物はウサギのソテー。何かのソースが掛かっている。恐る恐る食べてみると、これが柔らかくて美味しいのである!どうして日本ではウサギ料理が一般的でないのだろう…どう
ポルトガル人は何故か日本人と食の好みが合うようだ。イワシ、干鱈などの魚介類。それから米料理もその一つだろう。米が主食と自認する日本人が西洋の米料理を食する…何となく面白そうだと思い、私はポルトガルを訪れた際、「arroz(アロース)」という米料理を食べてみることにした。 入った店は首都リスボンの旧市街にある庶民的なレストラン。中に入ると、壁一面がアズレージョと呼ばれる絵タイルで埋め尽くされていた。内装だけでも伝統的なポルトガルの雰囲気で、と言っても肩肘張らない雰囲気で、