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『僕らは奇跡でできている』9話 人の人生の責任なんかとれるわけない。とる必要もない。

昨晩の『僕らは奇跡でできている』9話。
樫野木先生がついに爆発しましたね。一輝に本音吐きまくりでしたね。気持ちはわかりますけどね。

今回は樫野木先生のことを中心に書こうと思う。

ここからはネタバレしますので、ご了承ください。



というか、現実世界においては、おそらく一輝サイドで生きている人(自分軸で生きている人)より、圧倒的に樫野木先生サイドで生きている人(他人軸で生きている人)の方が多いだろうと思われるので、樫野木先生に共感している人、一輝みたいな生き方は綺麗事だと思っている方は多いだろう。

樫野木先生、よく言った!!スカッとした!
といったところか。
樫野木先生サイドの鬱憤をみごとに晴らす、巧みな脚本。さすがです。

樫野木先生の元妻が新しい恋人と再婚しそう…という展開。
樫野木先生の過去や離婚の詳しい経緯はそこまで深く触れられていないけど、推察するに、

自分の好きなフィールドワーク中心の生活を送っていたため、妻子と一緒に過ごす時間が取れず、お金もそんなに稼げず。
妻子を思うあまり、フィールドワークを辞め、大学で働くことに。
(この前後で離婚?)
そして自分の論文をネイチャーに載せることを夢見て努力中。
論文が掲載されて、教授の椅子が約束されて、晴れて地位と名誉を手に入れた時には、元妻とやりなおしたい。娘と一緒に暮らしたい。

という願望を持っていたのではないかと。

離婚の原因は本当に「フィールドワーク」なの??

元妻と娘は「フィールドワークしていたときの夫(パパ)かっこよかった」的な発言をしていることから、樫野木先生が好きな仕事に没頭していることに好意的だった模様。

元妻の新しい恋人も、仕事を辞め、好きな自転車のお店を出すようだが、そういう経済的に不安定な要素を抱える恋人であっても「再婚したい」と言っていることから、元妻は結婚相手に対して、経済的な安定より好きなことをして輝いている人を好ましいと思っているように感じる。

このことから、樫野木先生が「離婚の原因はフィールドワーク」と言っていることも彼の勝手な思い込み、勘違いなのではないかなあ…と思ってしまった。
鮫島教授に言われた「問題をすり替える癖がある」のように、他に自分に原因があったのに、フィールドワークのせいにしているのではないかと感じた。
最終話でこの点が回収されるかどうか注目している。


いつの間にか気づいたら「他人軸」の人生にすり替わっていた

樫野木先生が、好きだったフィールドワークを辞めて、地位と名誉(論文ネイチャー掲載と教授の椅子)を目指すようになった当初は、「妻子の為」という大義名分の中に、自分の欲(自分軸)と、妻子への忖度(他人軸)が共存していたような気がする。
が、そのうち、妻子への忖度がどんどん膨らんで行っちゃったのかなーと。

自分がそうしたいから、ではなくて、勝手に「地位や名誉を得たら、きっと妻子が喜ぶから。妻子がそう望んでいるから。」と思い込んで、勘違いして、いつの間にか自分軸で生きていたはずなのに、他人軸の人生になってしまった。

今年何かと話題だった「忖度」。
これって、そもそも、誰かに強要されるものではなくて、勝手に空気を読んだり、圧力を感じたり、良かれと思ってするもの。
だから忖度するもしないも、自己責任。
良かれと思ってしたことの当てが外れたとしても自己責任。
なのに、なんでか、当てが外れたり、思った通りに事が進まないと、自分の善意が踏みにじられたような気持ちなってしまう不思議なメカニズム。

忖度って怖いね。
今後、自分が忖度しそうになった時は、責任の所在を完全に自分に出来るかどうか自分に問うてからすることにする。
自戒を込めて。

樫野木先生は今その負のスパイラルにはまっているのか。


人の人生の責任なんかとれるわけない。とる必要もない。

実際、元妻は樫野木先生に対して、論文ネイチャー掲載や教授の椅子を望んだのだろうか?

樫野木先生は元妻や娘の本当の気持ちをちゃんと汲み取れていたのだろうか?
洋服を買ってあげるとか、そういうことだけじゃなくて、まっすぐ見つめて彼女たちを理解しようとしていたのだろうか?

本当のこと、本当の気持ちを知りたくないから、誤魔化して先延ばししていたのかな…
間違ったベクトルに向かって努力して、どうにか自分を満足させようとしていたのかな…
現実を受け入れるのが怖かったのかな…

そういう自分の中で処理しきれない、直視したくない、受け入れられない現実を持て余した結果、不満や恐怖を怒りに変えて、自分軸で生きている一輝にぶつけた。

一輝もたまったもんじゃないよね。
関係ないしね。樫野木先生自身の問題をすり替えられてもね。
鮫島教授の樫野木先生への辛辣な言葉も、表情はいつも通りでも、内に怒りと軽蔑が滲んでた。
普段怒らない人が怒ると怖い。

どんなにそれは綺麗事だ、と言われたとしても、やっぱり樫野木先生の言っていたことは到底受け入れられない、と私は思う。
間違っているわけではないけど、それを他人に強要するのは違うと思う。

学生や周りの人たちが一輝に影響されて、自分の夢を描こうとしていることに対して、全ての人が夢をかなえられるわけではないし、夢を描けないことにがっかりしてしまう人がいるということは事実だ。

でも、人に影響されるされないは自己責任だし、夢を描くも描かないも描けないも、人それぞれだし、その人の人生だ。
成功するも失敗するも現状維持も、その人の人生だ。

どれが良い悪いという尺度ではかるものじゃない。
他人がとやかく言う問題じゃない。

樫野木先生は一輝に「責任とれるんですか?」とか言ってたけど、とれるわけないし、とる必要もない。
他人の人生の責任なんてとれないし、とる必要もない。
責任をとるのは自分の人生だけだ。当たり前だけど、他人に自分の人生の責任をとってもらおうなんてゲスの極みだ。
樫野木先生は、人の人生の心配している暇があったら、自分の人生についてもっと考えた方が良い。
(きつくてゴメン…でも樫野木先生が頑張ってるのは知ってる。ちょっと方向性は間違ってるけど。)

***

あと1回の放送を残すのみ。
最終回。
一輝が、樫野木先生が、育実が、どういう結論を出すのか、楽しみ。
一輝のことだから、みんながあっと驚くスペシャルな着地点を用意してくれそう。(用意するのは脚本家さんだけど)

一輝の心の中の光の輪が萎まず、より大きくなることを願って。


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