仕事モードの価値観をプライベートの人格に持ち込まないように
私は幼い頃から著しく自己肯定感が低い子で、それは親から肯定される経験が少なかった(否定されることが多かった。親的には「甘やかさないように」という配慮に基づく行動だったんだと思うけど…)ことと、親の役に立つこと、親の望むような子供であることを空気を読んで自分に課していたことによるものだと思っている。
それからずっと、「誰かの役に立っていないと自分の存在意義が無くなる」という呪縛からなかなか抜け出せなくて、そのまま社会人になったら今度は、仕事モードの価値観をプライベートの人格にまで持ち込むようになってしまい神経をすり減らす羽目になってしまった。
今日はそんな話をちょっとしてみたい。
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企業やビジネスって利益を出すことで成り立っているし、それが優先順位の上位に位置している。
どんな仕事でもどんな業界でも、どんな商品でもサービスでも、「これはあなたの役に立ちますよ。あなたにとって有益なモノですよ」という価値を売り込むことに他ならない。
そのために私たちは日夜努力を重ね、より良い商品、役立つサービス、お客様に響くアイデアを考えている。
他社との差別化を図り、個性を伸ばすようにし、ニッチなニーズに対応したり、マス化させたり…ありとあらゆる、ありとあらゆる…(エンドレス)…
社内でも、仕事が出来るようになりたい。あの人仕事が出来るねって言われたい。大きなプロジェクトも回せるようになりたいし、チーム内の同僚や後輩のフォローも卒なくこなせるようになりたい。細かいところにまで気配りができてあの人すごいよねって言われたい。あの人と一緒に仕事していると安心感半端ないよねって言われたい…言われたい…(エンドレス)…
って、欲望垂れ流し状態で仕事に邁進している人多いと思う。(私も若い頃そうだった)
仕事ってどうしても「他者から評価される」ことで成り立っている側面が大きい。
A社の商品よりB社の商品の方が使いやすいよね、とか。
Aさんの方がBさんより仕事早いよね、とか。
評価されることが正義で、評価されないとお金にならなかったり、惨めな気分になってしまうことがある。
とてもわかりやすいし、資本主義&民主主義の社会で生活している私たちには必要な基準だと思うし、「物差し」を決める自由はあるので、それ自体が「すごく間違ってる!」とは思わない。
だけど、そういうことを積み重ねていくうちに、「他者から評価されること」を知らず知らずのうちに自分の人格やプライベートにまで持ち込んでしまっているのではないかと思った。
というか、私がそうだった。
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プライベートにおける「私」という存在は、「あなた」の役に立っていないと価値がないの?
「誰か」の役になっていないと価値がないの?
プライベートにおける「あなた」という存在は、「私」の役に立っていないと価値がないの?
「誰か」の役になっていないと価値がないの?
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そんなことないよね。
「役に立つかどうか」という基準はプライベートには必要ない。
何も持っていなくても、特別なことができなくても、そのままで価値があるし、存在していい。自分を卑下することない。
でも自己肯定感が低かったり、仕事で「他者から良い評価をもらう」という甘美で中毒性のあるご褒美に翻弄されて承認欲求が過剰に刺激されまくって「承認欲しい欲しいマン」に成り下がってしまうと、プライベートでも「誰かの役に立っていないと自分の存在意義が無くなる」と思い込んでしまう場合がある。
気を付けたい。
気を付けましょう。
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仕事とプライベートは自分の中で地続きになっていて、きっちり分けられる人は問題ないと思うけど、最近の私はきっちり分けなくても良いかな、と思うようになっている。
自宅で仕事をしているから完全に分けるのが難しいという物理的な問題もあるし、思考の面でもリラックスタイムに良いアイデアが生まれることが多いから自分の生活の中に仕事とプライベートが混在しているの姿の方が自然だと思うようになったからだ。
故に、仕事モードの価値観をプライベートに持ち込まないようには意識して気を付けたい。
意識するだけで随分違う。
生きるのがすごく楽になる。
かつての私が思い込みによって自分を縛ってしまっていたように、今生きづらさを感じている人に読んでもらえると嬉しいな。
少しでも楽に生きられますように。
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