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地産地消=最高の調味料 ~恵那の食文化の魅力~

田舎の春は食卓がにぎやかだ。

田舎の春は食卓がにぎやかだ。
ご近所さんたちが、山で採ってきた山菜をよくうちにもわけてくれるし、ワラビツクシなどはうちでも採れる。茶畑や田んぼの畔に群生しているので、採るのに労はない。

なので一時食卓が山菜だらけになる。

このnoteでは都会暮らしの筆者が岐阜県恵那市に移住して9年の農村暮らし経験に加えて、30年以上のドラマーとしての音楽経験(仕事レベルで)や登山経験(登山店勤務経験あり)、アフリカでのワークキャンプ、地域おこし協力隊、有機農業、現在は夫婦でEC運営、といろんな畑を歩んできた自分の経験からお伝えできるトピックを発信しています。(内容は個人の見解に基づくものであり、岐阜県移住定住サポーターとしての公式見解ではありません。所要時間5分。)

まだ寒い時期のふきのとうから始まり、ウドタラの芽、ぜんまいなどいろんな種類の山菜料理が続く。

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たいていは天ぷらか煮つけ、お浸しになるが、続くとさすがに飽きてくるのでパスタの具などにしてもよく合う。

ここら辺で一番喜ばれるのが、コンテツとも呼ばれるコシアブラだ。薄く衣をつけた天ぷらは香りがよく、絶品。炊き込みご飯は何杯でもいけてしまう。

ヨモギもそこら中に生えている。これはハーブのような本当に良い香りで、食べ方としては、天ぷらが定番だが、すりおろしてパンケーキに混ぜたりするのも美味しい。が、始末におえないぐらい群生するのが悩ましく、がんがんに草刈りで刈り倒していくのは複雑な気持ちにもなる。

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春の植物はまさに目覚めの勢いの味というのだろうか、ほろ苦く、食べる側にとってもこの春しか身体が受け付けなさそうな感じがする。

4月も半ばを過ぎると、竹林からタケノコが掘られてくる。特にタケノコ用に手入れしているわけでもない石がちな竹林だが、掘りたてのタケノコはやはり美味しい。

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竹の成長力はものすごいものがあるので、タケノコもあまり食べると腹がおかしくなってくる。身体が受け止めきれないエネルギーがあるのだろう。
あと、ある程度掘っておかないと、竹林が密集し過ぎたり、どんどん領域を拡大していってしまうので、資源保全の意味合いもある。

山菜など移住する前まではほとんど口にしたことがないようなものばかりだ。スーパーでも売っているのを見かけるが、他の野菜以上に新鮮さが大事な気がするし、採る楽しみがまた美味しさに加味されている感じもする。

そしてこの一瞬の旬に採れた山菜を食べる機会に恵まれたことで、なぜ毎年飽きもせず山菜を求めて山に入るのか、身体が理解した。
貴重な山菜の植生地はご近所さんにも滅多に教えてくれない。

これを人は、豊かな食生活、と呼ぶのだろう。

田舎の食文化に出会ってから

田舎への移住、というと、田舎ならでの「食」に注目されることがある。
地元の食材をつかった伝統料理、採れたての野菜、漬物的な発酵保存食、川魚、ジビエ、など、食に関心のある人であれば、田舎の食に対して理想的、と憧れを抱くかもしれない。

実際いまの暮らしの食はこうしたものにあふれている。
自分で育ててるものもあれば、おすそ分けでいただくものもある。

自給分としてのコメや旬の野菜は言うまでもない。

ナスがこんなにも甘みを蓄えてとろけるようだったなんて。
サツマイモを焚火して焼き芋にした出来立てが、どんなスイーツよりも絶品だなんて。
新米はそれだけで何杯でもおかわりできてしまう。


どれもこれもアホみたいな美味さだ。

それだけでも充分かもしれないが、地域の風土に触れることで食の豊かさはもっと広げることができる。それを探していくのも田舎暮らしの妙。

月に一回恵那市図書館で開かれる地場生産者のマーケット「食べとるマルシェ」にいけば、高品質のはちみつや、地元産の小麦の全粒粉を使ったお菓子、エゴマ油なども手に入る。


卵は遺伝子組み換えのない穀類や地元のコメを飼料に使う養鶏所から隔週で送られてくる。

https://tabetoru.com/farmer/andou-youkeijou/

東海圏といえば味噌だが、文字通り手前味噌が家では仕込まれていて、市販の味噌にはない滋味にあふれる。

秋はがそこら中で採れる。ゆずも特産としてたくさん栽培されていて簡単に手に入る。

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ジビエ川魚はふんだん、とまではいかないが、基本的に買うものではなく、獲った人からいつのまにかうちに回ってくる。
イノシシは定番、シカクマまでは食べた。ちゃんと血抜きができていれば臭みもなく、普通に肉として美味い。

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アユはほとんどが放流ものではあるが、息子の大好物である。

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あと、いつでも火をおこせる環境(隣近所が離れてる)なので、自家製ベーコンを定期的に仕込んでいる。地元食材ではないがただのバラ肉を1週間ソミュール液で仕込み、炭火とチップで2時間、今までベーコンと呼んでいたものは何だったのか、衝撃的な美味さだ。

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ちなみに岐阜県はBBQコンロ売上高全国1位のBBQ県でもある(2016年時点)。春先から休みともなるとあちこちから煙が上がる光景を目にする。これも立派な食文化と言えよう。
我が家では夏に来客があるとBBQに合わせて、流しそうめんを、竹を切り出すところから体験してもらう。これは一大エンターテイメントとして非常にみんな喜んでくれている。

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伝統料理としては、いつだかの朝ドラで全国に名を馳せた五平餅があり、妻と長男はこれを愛してやまない。

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息子からのメッセージを探してください

6月ぐらいになると、そこらへんに生えている朴木(ほうのき)の葉を採ってきて、ほうば寿司が各家庭で作られる。ほのかな葉の薫りと酢飯がよく合って美味い。

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地酒もある。地域のコメと水をつかって仕込む、岩村醸造は女城主の銘柄が有名で、日本酒に縁のなかったオレにその美味しさを教えてくれた。

恵那で忘れてはならないのが、へぼ、だ。
クロスズメバチの一種で、食べ方としては幼虫、いわゆる蜂の子を甘露煮などにして食べるが、成虫も食べる。
恵那の南、串原がそのメッカで、毎年各々が採取したへぼの蜂の巣の大きさを競いあう、へぼコンテストなるものまである。

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へぼの幼虫はクリーミーな食感で、正直、悪くない。ほうば寿司の具材で入ってたりして、美味いと感じる。
義弟さんはコメにふりかけのように載せて食べるのが好物らしいが、結構な高級食材なので、ある意味贅沢だ。

昆虫食といえば、息子の通っている保育園では、自分たちでイナゴを捕まえ、お昼の給食で食べる!という、ものすごいイベントがある。毎年食べてきた息子曰く、エビみたいで美味しいよ、とのこと。

ちなみに長男は、こんな食生活をしているおかげかどうかは定かでないが、コメ麹を隠し味に入れたパスタを食べて「コメの味がする」とか、ソースに入れたワインの薫りに気づき「ブドウの味がする」とか、いろいろと味覚に敏感である。

挙げればキリがない。ちょっと『田舎の豊かな食文化マウント』みたいになってきたのは本意ではないが、とても恵まれている食なことには違いない。

地産地消=最高の調味料

まあ地場のものが美味いとか、自分で育てたものが美味い、というのは確かに美味いのだが、やはりその場所の気候、空気の中で育ったものをその場で食べる、ということが美味いと感じる感覚に作用しているとも思う。

だいぶ前にアイルランドを旅してるときに飲んだギネスビールがこの世のものとは思えないぐらい美味かったのに、日本に帰って飲んだら、あれ?となったことも思い出す。それも注ぎ方とか管理方法の違いとかいろんな要因が作用していることは想像もつくが、それが美味しいと感じるための環境的な条件は科学的な実証ができるはずとオレは確信している。

だから、オレの作った野菜やベーコンより美味いベーコンなど星の数ほど存在するのだろうが、ここで食べるのならやっぱりオレのが最高、なのだ。

巷で食育とかフードマイレージなどの観点から、地産地消を推奨されているが、もっと食の根源的な欲求としての「美味いもの食べたい」に一番適うものが、地の旬のものをその地で食べることだと思っている。

「空腹は最高の調味料」というように、「地産地消もまた最高の調味料」として、食育だとかフードマイレージだとかイデオロギーじゃなくてあまり堅苦しくなく語っていきたいものである。だって食は楽しいものだから。

人間は死ぬまで食べるから

移住前は実家暮らしで黙っててもちゃんとした食事を作ってもらっていたこともあってか、オレ自身はかえって食に頓着がなく、移住にあたって理想の食生活を追求せねばなどと意気込んできたわけではない。

それが少しずつ変わってきたのが、自分で野菜やコメを育てることになってからで、作物も料理も丁寧に作られた美味しいものを食べたい、という意識はとても強くなった。
とりわけ、野菜にしろ何にしろ、旬のものや採れたてのものを食べたときの得も言われぬ幸福感は、何にも代えがたい。これは妻が料理好きでいつも丁寧に作ってくれているおかげでもある。
人間の人生は最期死ぬまでほぼほぼ食との付き合いであるがため、美味しく良いものを食べることと生きることの幸せは、同義と言いたいぐらいだ。

とはいえ添加物を採らないとか、グルテンは悪みたいなフードファディズムみたいな、そうした極端な食の志向とかはなく、状況に応じて何を食べるかはいとわない。

当然「○○は△△産でなければ」というスノッブな美食主義でもない。

オレにとって食は健康のために栄養摂取することでなく、美味しさが第一である。しかし贅を凝らせばそれが手に入るとは限らない。
身体が直感的に美味しいと感じるのは丁寧に、そして素直にちゃんと作られたものをいただいたときだ。すると自ずと何を食べるかは決まってくる。

ここで食べるなら地場のものが一番美味しいと感じるので地場を選ぶし、地場にないものだったり、どうしても食べたければ地場以外のものでも全然かまわなくて、地場にないものと地場のものとを組み合わせればなお、それもまた食の楽しみが広がるというものだ。

素直に作られたもの、というものの定義も難しそうだが、例えばチーズとかワインとか、作り手の存在と製法がちゃんとわかるものというのは一つの基準になりうる。

そういう素直に作られた美味しいものを食べてればそう健康に悪いこともあるまい。あとは食べすぎ、偏り過ぎに注意すればいい話である。

要は基本がどちらにあるか、という転換であって、今は丁寧な食が基本にある、ということだ。

とはいえ、田舎にいれば自ずと豊かな食に恵まれるか、といえばそういうわけでもないだろう。ファーストフードやコンビニ食は田舎にもあふれている。田舎といえどライフスタイルの変化の波は押し寄せているわけで、そうした食が中心にならざるを得ない向きがあるのも致し方あるまい。

いろいろ食を取り巻く環境は難しいものがあり、一概に良し悪しを論じるわけにはいくまい。どんな食事だって感謝を込めていただけば、それが幸せだったりする。

しかし逆を言えば豊かな食のためにライフスタイルを変える、という選択肢もあろう。その実現のために移住するという人がいても何ら不思議はないことは、自分自身の食の変化を通して身をもって理解できる。それくらいに食とは人生を変えてくれるものだという実感を持っている。

身体の健康度を図るには不十分とは思いつつ、44歳の今現在で体脂肪率、内臓脂肪率、基礎代謝など、36歳相当という我が家のタニタ体重計のご神託を信じれば、丁寧な食=健康な身体ということがあながち外れてはいないことを身をもって示している、つもりでもある。

旬のもののアホみたいな美味さを体感したい方はぜひ我が家へ。
晴れた日に庭で食べる昼食は、美味さをさらに増し増しにしてくれる。

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自分の食体験で感じたことに相通じることが書かれているなと思った本たち。

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