最近の記事

2024年始まりの日

2024年、それも月(MOON)の暦の始まりの日。春節ともいうらしい。最近メンタル面で不調だが良いスタートを切りたい。そんな思いで東山公園を目的地とした旅に出た。若干遅めのモーニングを楽しんだ後、足湯に浸って冷え切った心と身体を温めた。足湯は見過ごされがちで、自分も最近気づいたことであるが、非常に魅力度が高いスポットである。一人で行ったら作業に没頭でき、友人と行ったら雑談に浸れる。それも健康的に、温もりを感じながら。これを世間では穴場スポットというのであろう。 その後、かつ

    • 東京遠征@2024/4/10~13

      4/10(水) 夜行バスに乗るための、名古屋へ向かうだけの日となってしまった。朝早く起きたら今日という日にも味付けすることができるのに、惰眠をむさぼるせいでくだらない、薄っぺらい日々となってしまう。そして、ただでさえ短い時間なのに、友人とのしょうもない雑談でその貴重な時間さえ無駄にしてしまうのが自分クオリティーである。 実際、何を話したかはほとんど覚えていない。唯一覚えているのは、土田晃之の話をしたことくらいだ。そんなくだらないバス待ちの時間、ブロンコビリーで飲み食いし

      • 神様が教えてくれたこと

        暗がりの中、住宅街の細道を歩いていた。散歩は脳内整理に最適だ。考えはまとまり、悩みは立ち消え、新しい発想が浮かぶ。だから僕は、頻繁に散歩をしている。最近は昼間が異常に暑いため、夕暮れ時に歩くことが多い。 思考整理の合間、突如脳裏を絶望が襲った。手に持っていたカギを落とし、それが側溝の穴に落ちてしまったのだ。急いで手を入れてみたが穴が狭すぎて全然入らない。これならどうだと側溝の石を持ち上げてみたが、セメントで固められているためビクともしない。普段カギを落とすことなどないのに、

        • ケトジェニック~アトピーとの闘い

          2024年5月1日、ケトジェニック、いわゆる糖質制限を開始した。炭水化物を大幅に制限して、その分脂質を取りまくるというものだ。普通に生きていて、こんな食生活を選ぶ人はほとんどいないであろう。しかし自分はこの修羅の道を選んだ。アトピー性皮膚炎が良くなると信じて。 ケトジェニックというものを知ったのはTwitter(X)からだった。Twitterには超人がいっぱいいる。そんな中で自分が惹かれた超人たちは、ケトン人というものだった。正直、最初は彼らの発する言葉の意味がよく分からな

        2024年始まりの日

          伝道の境地へたどり着く道

          日本サンクで伝道が声高々に叫ばれるようになった。自分は他人事であったが、ふと繋がりがあった数人が思い浮かび、彼らに一言声をかける義務があるのではないかと思った。当時は未熟で自分の状況をうまく話せなかったため、何も伝えられなかった人たちだ。そして、その罪悪感はうっすらではあるが、ずっと心の片隅にあった。また、同様に、今つながりのある人たちにも伝えるべきではないかと感じた。 そんなことを思っているとふと高校時代の同級生のインスタを見つけた。彼らには驚くほど個性があり、自分の数倍

          伝道の境地へたどり着く道

          クソダサかったな、高校時代の俺

          高校時代のクラスメイト達のインスタを眺めて、思い出したこと、考えたことがある。2人の人物が考えを与えてくれた。過去の、そして二度とかかわることのない人物達たちだろう。しかし、そんな人たちですら僕にきっかけを与えてくれる。本当に、すべては繋がっているのだと感じる。そして、神の御業は偉大過ぎる。時空を超越して、僕を導いてくださっているのだから。 1人目は、高校時代の顔があまりよくないのに、やたら陽キャでルックスのいい男女と仲良くしている女子だ。高校時代、僕は正直彼女を低く見てい

          クソダサかったな、高校時代の俺

          青い聖霊の炎を心のうちに滾らせる

          聖霊の炎の色って何色だろう。それは間違いなく青色だ。炎の中で一番熱い色だからである。そして、キリストに生かされているものは皆、心の内に青い炎を宿らせているのだ。 しかし、それを滾らせ続けるものはそういない。この世の中は火を燃え上がらせるものよりはむしろ、弱めるものの方が多いからだ。 俗世に染まると炎はあっという間に小さくなるが、決して消え去ることはない。それだけ聖霊の炎は強靭なもので、それだけ神様の愛は偉大なものだ。どんなに息苦しい世の中でも、神様の愛は決して僕たちを見捨

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          弟子教育~人生が文字通り変わってしまうきっかけ

          2024年1月31日、謎の連絡が入った。今思えば、苦難の道を告げる連絡であった。その連絡が来たのは仕事が始まる直前だったので、都合の良いタイミングで連絡しようという話になった。しかし、残業を始めとして邪魔が入り続け、かみ合わずに文面での連絡となった。何の力が働いたのかは分からないが、どうやら何らかの障害が僕を邪魔したようだった。 そして、やっと分かった連絡の内容、それは「弟子教育」というものだ。ざっくり表現すると、一対一で時間を取り、イエス様の弟子となるための信仰教育をして

          弟子教育~人生が文字通り変わってしまうきっかけ

          メタノイヤ

          悔い改めはメタノイヤ。心の転換。心の中にある、偽りの偶像を崇拝している物を抜いて、キリストを、心を開いてキリストが臨在される様にする事。これが悔い改めです。(2022年6月25日) メタノイヤをする機会は何万回もあったし与えてくださったと感じる。しかし、もちろん要素として変わる部分はあり、その都度価値観は塗り替えられてきたのだが、180度転換されることはなく、結局は偽りの偶像に心の方向が戻ってきてしまった。 だから今回も、仕事がうまくいかないと感じ、休職にいたってしまった

          メタノイヤ

          マタイ5:13~16

          13 あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。 塩とはなんであろうか。現代では、安価に大量に入手できる物質である。それどころかむしろ、健康に悪影響を及ぼすものとして、減塩がすすめられるほどには避けられる存在になっている。一方、新約時代にはとても貴重なものであったと推測できる。すなわち、高価で数も少ないということだ。つまりキリストは、キリスト

          マタイ5:13~16

          僕の有休

          予定もない味気ない毎日。そんな日々に彩りを添えるためだけに有休を使ってみた。周りのみんなが働いている中自分だけが休むというのは、背徳感も相まって普通の休日よりも気持ちが良いし価値があると思う。それも、寝て潰す一日ではなく、朝5時に始まる一日。唯一後悔したのが、風呂にも入らずに床で寝落ちしてしまったことくらいだろうか。実験として今日はシャワーなしで過ごしてみることにした。カラオケ→ラーメン→温泉というフルコースのトッピングくらいにはなるであろう。 起きてから主と向き合い(今日

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          文句たれ小僧との決別

          朝5時におきる生活が始まった。ショートスリーパーを目指しているとはいえ、当時の僕には少しハードルの高い設定であった。「アサクン」、どんなもんやと思いつつ、例のごとくやらされてる感満載で参加した(表には出していないはずだが、心の中はそうであった)。自チームは5人いたが、リーダーは知らない人。そして、遅刻してくるメンバーと早退するメンバー。共有画面はスマホということもあって段取りが悪いし、突然感想を求められるしで正直不快感を覚えてしまった。朝の早さもありイライラとモヤモヤを抱つつ

          文句たれ小僧との決別

          やる事やる教

          やるべきことを淡々と、ひたすら、前向きにやり続けるしかない。 人生、うまくいっているように思えてもすぐ自分を見失ってしまう。時には前が見えなくなるし、時には前へ歩いているつもりでも全然違う方向へ進んでいる。そんなとき、すぐに落ち込んでしまうし自暴自棄になってしまうこともある。人間は本当に弱いし脆い。でも、この不完全さこそが人間の魅力だと感じる。不完全さに開き直っている人は嫌いだが、自分と向き合って自分なりにもがいている人はとても美しい。神様はそれも見据えて人を創造されたのだ

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          理想的な土曜日

          しんどさを抱えながら迎えた土曜日の朝。一週間の仕事と前日の同期飲み会で疲労はたまりにたまり、今日こそはゆっくりしたいなと思っていた矢先、友人の来訪が決まった(一週間ぶりの!)。先週のわだかまりは端っこにどけておいて、ココスでモーニングしたいねとなった。 先週と同じく朝7時集合。朝に予定を入れるのってとても良い。多少眠くても、鼻水が垂れていても、そんなことなど友と過ごす時間の邪魔にはならない。1日が長く感じるし、仮にあったとして、門限にだって余裕で間に合う。齢24にして初めて

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          習慣と向き合うべく日々、それこそが人生

          人生って楽しい人にとってはとても楽しいし、つらい人にとってはとてもつらい。僕は、人と比べても両面性が強いと勝手に思っていて、波に揺られながら生きている。そして、ふと波の勢いに乗せられて、悪い習慣に戻ってきてしまう。 習慣は、自分が思っている数百倍強い。「人生の9割は習慣に支配されている」というタイトルの本があったとしても、タイトル負けしない内容が書けるくらいには人に与える影響が大きいものだと思う。「私は私の意思で生きている」と思っている人は多いし、かくいう自分もそのつもりで

          習慣と向き合うべく日々、それこそが人生

          働けよ、無能

          正確な言葉は忘れたが、こんなニュアンスのことを言われてしまった。しかも、真面目な顔をされながら。帯同3日目、大会当日。自分が無能だとは百も承知しているが、いざ言われるとぐっとくるものがある。しかも、自分的には割と頑張っていたつもりだったのでなおさら。とっさの反応で、言い訳がつらつら出てきた。おそらく、顔はこわばっていたのだろう。 思えば初日から、自分はこの場にいるのかな、存在価値はあるのかなと自問自答する日々であった。なんのために会社を休んでまで来ているのだろう。背負ってき

          働けよ、無能