神様が教えてくれたこと
暗がりの中、住宅街の細道を歩いていた。散歩は脳内整理に最適だ。考えはまとまり、悩みは立ち消え、新しい発想が浮かぶ。だから僕は、頻繁に散歩をしている。最近は昼間が異常に暑いため、夕暮れ時に歩くことが多い。
思考整理の合間、突如脳裏を絶望が襲った。手に持っていたカギを落とし、それが側溝の穴に落ちてしまったのだ。急いで手を入れてみたが穴が狭すぎて全然入らない。これならどうだと側溝の石を持ち上げてみたが、セメントで固められているためビクともしない。普段カギを落とすことなどないのに、それがよりによって側溝の穴に落ちてしまうなんて。
一瞬にしていろいろなことが脳裏をよぎった。まず、このカギは絶対に取れないと思った。そう確信していたし完全にあきらめていた。これは管理会社に電話するしかないのか。あるいは親に来てもらうか。しかし、そのとき僕は財布もスマホも持っていなかった。それどころか、ポケットの中にティッシュ一枚すら入っていなかった。そんな状況を見て僕は立ち尽くして笑うことしかできなかった。
呆然と立ち尽くす僕に、一人の女性が駆け寄ってくれた。近くの家に住む人柄のよさそうな女性だ。彼女は僕がカギを落とすところを目にして一目散に来てくれたのだ。そして、僕が何も持っていないことを伝えると、まずはどこに落ちているかを見つけなければと明かりを持ってきてくれた。這いつくばりながら必死で探して、なんとかカギの在り処は見つけることができた。
しかし、何度手を入れてみても当然カギには手が届かない。そして、あきらめていた気持ちはやはり変わらない。そんな僕を見て彼女は役に立ちそうなものをすべて持ってきてくれた。マジックハンド、養生テープ、そして最後に針金。全部使っていいよと言ってくれた。見ず知らずの僕に至れり尽くせりしてくれることにとても感動し、もしかしたらとれるかもしれないと一筋の希望が見えた。
まずはマジックハンド。まずはカギを穴の真下に移動させた。これも一苦労だった。最初の挑戦でカギが外側に移動してしまったのだ。一瞬絶望したがアームの範囲内からはギリギリ外れておらず、なんとか中央に持ってくることができた。そして、穴の下にあった小さな溝を使ってカギを立てることができた。「これでカギをつかめるぞ!」。そう希望を抱いたが掴み手の厚さよりもカギは薄かった。これではカギをつかむことすらできない。そう思ってマジックハンドを一旦地上に戻したのだった。
次に使用したのは養生テープだ。養生テープを巻けば隙間を埋められるし粘着力も上がる。掴み手にテープを巻きもう一度暗闇にマジックハンドを突っ込んだ。さっきと同じようにカギをつかみ持ち上げてみた。今度こそ持ち上がった。「ついにカギを取り戻せる!」。そう確信したのもつかの間、マジックハンドの構造上掴んだままでは穴を通らない。持ち上げきるには90度回転させなければならないが、そしたらカギの向きが穴と垂直になって持ち上げられない。一瞬抱いた希望はまたしても絶望へと戻った。でも何か道はあるはずだ。やれることはまだある。そんなとき、優しき女性が家から針金を持ってきてくれた。これをカギの穴に通せば持ち上げられるのではないかと。
正直この方法はしっくりきていなかった。どうやって針金を用いればよいか見当もつかなかった。しかし、彼女は真摯に方法を考えてくれ、僕も素直に従ってみることにした。マジックテープに針金をぐるぐる巻きにして養生テープで固定する。そして針金をカギについている穴に入れ込むために垂直に曲げた。こうして、三種の神器をすべて使った最強の武器が完成した。
カギを引っ張り出すには工夫と集中力が欠かせなかった。それとともに、何よりもあきらめない力が必要だった。しかし、粘り続けてカギの穴に針を通し、ゆっくり落とさないようにカギを持ち上げきった。そして、ついに、カギを地上に持ってくることができた。驚きと安堵と感動と感謝の気持ちが一度に襲ってきた。そんな気持ちで歓喜の声を上げる僕の隣で、全力で協力してくれていた彼女もまるで自分ごとかのように喜んでくれていた。それに僕はとても感動したし、とてもうれしかった。帰りに手ぬぐいまで渡してくれ、そして見送られた。本当に起きた出来事なのか、信じられない気持ちで帰路へ着いた。
短い帰り道、今さっき起きた出来事を振り返ってみた。この出来事は何だったのか。すべてが奇跡だった。こんなことありえるのか。そんなことを考え、神様の関与があるに違いないとの結論に至った。深く考えた後、これは神様が一連の出来事を通して大切なことを教えてくださったことが分かった。
まず、カギを落としたとき、僕は絶対に拾うことができないと思ったし、そのとき僕は文字通り何も持っていなかった。しかし、近くにいた一人の女性が親身になってくれ、暗闇を照らす道具と、カギの取り戻しに必要なすべてのツールを用意してくれた。もちろん簡単にはいかなかった。集中力と創意工夫、そしてあきらめない心が必要だった。しかし、手持ちがない僕のために道具を用意してくれたのはすべて彼女だった。
これは人生を歩む僕と環境を作ってくださる神様の関係そのものであった。人間は全知全能の神様からしたら何も持っていないに等しいし、未来も見えず真っ暗闇を歩いているも同然だ。しかし、神様は人生の目的に向かって照らしてくれるし、私たちが道を歩むために必要なすべてのツールを用意してくださっているのだ。もちろん目的にたどり着くためには考えること、工夫すること、集中して一生懸命取り組むこと、そしてあきらめない心が必要だ。しかし、環境を用意してくださるのはすべて神様なのだ。僕は、神の導きと人間の選択の境目はどこなのだろうと探り求めていた。神に聞いたこともあったかもしれない。だからこそ神様は本当にわかりやすい例で、心に響く形で答えを用意してくれたのだろう。こうして、自分の中で初めて正解を見つけることができた。
そしてもう一つ忘れてはならないのが、僕がカギを引っ張り上げたとき僕と同じように喜んでくれたということだ。神様も同じなのだろう。私たちが目的を達成できたとき、僕たち以上に喜んでくださる、そんなお方こそ神様なのだ。
イザヤ書12章4~6節
4 その日、あなたがたは言う。「主に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。そのみわざを、国々の民の中に知らせよ。御名があがめられていることを語り告げよ。
5 主をほめ歌え。主はすばらしいことをされた。これを、全世界に知らせよ。
6 シオンに住む者。大声をあげて、喜び歌え。イスラエルの聖なる方は、あなたの中におられる、大いなる方。」
神様は常に僕たちの中にいてくださる。そして、すばらしいことをしてくださる、大いなる方なのだ。だから僕たちは神様を誉め、喜び、証し続けなければならない。無償の愛で応えてくださる神様に応えるにはそれでも全然足りないくらいだろう。
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