習慣と向き合うべく日々、それこそが人生
人生って楽しい人にとってはとても楽しいし、つらい人にとってはとてもつらい。僕は、人と比べても両面性が強いと勝手に思っていて、波に揺られながら生きている。そして、ふと波の勢いに乗せられて、悪い習慣に戻ってきてしまう。
習慣は、自分が思っている数百倍強い。「人生の9割は習慣に支配されている」というタイトルの本があったとしても、タイトル負けしない内容が書けるくらいには人に与える影響が大きいものだと思う。「私は私の意思で生きている」と思っている人は多いし、かくいう自分もそのつもりで普段は生きているのだけれども、自分を観察(マインドフルネス)するようになって少しずつ分かってきた。自分でも気づかずにやってしまっている多くの物事に。
姿勢、表情、口癖。これら見える物事が習慣に支配されているというのはイメージしやすいかもしれない。しかし、思考の癖、例えば妄想癖のようなものというのはなかなか発見しづらい内容である。しかし、実はこれらが人の、感情、心を支配するほど重大な内容だと思う。僕はまだまだマインドフルネス白帯だが、一本線くらいはもらえるかもしれないと最近になって思えるようなったくらいには客観視できるようになってきた。不安になる癖は分かり切っていたことだが、人に嫌な思いを持つ(例えば、怒られたりする)と、その人に対して被害妄想をして、そこから復讐をするというような妄想をしてしまうというものは最近発見した新たな癖である。
自分で思考しているのだから、気づいているはずだし言われたら確かにやっているなと思うのだが、言語化するまで脳はその習慣を分かっていないものである。そして、言語化できずに内で習慣化している無駄な思考一つ一つが自分の心を痛めつけ、さらなる不安を呼び寄せているのである。
このように習慣は驚くほど自分を支配しているが、特にその脅威が増すのは波の位相が下に触れた時だ。こうなるとかつての意思や決意など道端の石ころよりも小さくなる。酒、たばこ、ギャンブル、ポルノ、暴力。人によって違うだろうが結局は同じムジナにたどり着く。
つらつらと習慣について書いてみたが、正直どうやって直せばいいかは分かっていないし、まだまだ悪なる習慣と付き合っていく必要があるだろう。しかし、悪なる習慣を観察し、向き合うという第一ステップは踏めつつある。そこは成長点であるのだから、変に悲観的にならず(これも悪なる習慣の一つである)次なる一歩を模索していきたい。
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