2024年始まりの日

2024年、それも月(MOON)の暦の始まりの日。春節ともいうらしい。最近メンタル面で不調だが良いスタートを切りたい。そんな思いで東山公園を目的地とした旅に出た。若干遅めのモーニングを楽しんだ後、足湯に浸って冷え切った心と身体を温めた。足湯は見過ごされがちで、自分も最近気づいたことであるが、非常に魅力度が高いスポットである。一人で行ったら作業に没頭でき、友人と行ったら雑談に浸れる。それも健康的に、温もりを感じながら。これを世間では穴場スポットというのであろう。

その後、かつての思い出の地へと向かった。当時見た時は暗闇の中、壮大で輝いていた書店だ。しかし、いざ再び眼に焼き直すと、あっけないもので、取るに足らないものに見えた。しかも、実際に入店すると、サイズのわりに中身はスカスカである。思い出は思い出のままであるべきだった。掴みに行くとあっけなく、脆く壊れてしまうのだ。

最後に、今回の目的地である東山公園に向かった。お父様の聖地。ヒントは東山公園の高台という単語だけである。東山公園で一番高いところにあるもの、それは展望台である。何かヒントが得られるのではと思い入場してみる。入場料は田舎料金でワンコインもしなかった。これぞ名古屋クオリティである。

登ってみると、それはそれは壮大で素晴らしい夜景だった。全方位を見渡せ、人間の活動とちっぽけさを光を通して感ずることができる。当然一人ひとりの活動の集合としてきらびやかな夜景になっているのだが、全体を眺めると人間一人など無価値に感じられる。夜景にはこんな矛盾が内包していて、奥深いと感じてしまうのは自分だけだろうか。

お父様が聖地認定した時にはこんな展望台などなかったのだが、まるでこの展望台を頭に入れて聖地決定されたのではないか、そう思えるくらい感動したしいろいろ考えた時間だった。もちろん展望台にお父様の姿はないのだが、お父様のことを考え行動した旧正月、とても意義深いものになった。物事で重要なのはやはり動機であるよな。日々神様、お父様のことを考えて行動することで、街並みに色がつくし、ささやかな行動に大いなる価値を見出せるようになるのかもしれない。


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