働けよ、無能

正確な言葉は忘れたが、こんなニュアンスのことを言われてしまった。しかも、真面目な顔をされながら。帯同3日目、大会当日。自分が無能だとは百も承知しているが、いざ言われるとぐっとくるものがある。しかも、自分的には割と頑張っていたつもりだったのでなおさら。とっさの反応で、言い訳がつらつら出てきた。おそらく、顔はこわばっていたのだろう。

思えば初日から、自分はこの場にいるのかな、存在価値はあるのかなと自問自答する日々であった。なんのために会社を休んでまで来ているのだろう。背負ってきたものがあるだけに、その解は重要な意味を持つ。解は自分で作るものであり、他人によって決まるものでもある。今のところ、どちらの視点からも自分はいらないとの結論になる。もちろん、神から見てそんな議論などくだらないし導かれていることは分かっているのだが、頭と心は一致しないのが世の常ってもんだ。まだまだ悩む日々が続きそうだ。

大会の最後に旧友と少し話せた。わざわざ来てくれただけでうれしかったが、僕の今の気持ちを吐露でき、ちょっとだけ楽になった。信仰は共にせずとも、ここまで心をさらけ出せる相手はそうそういない。こんな友と出会わせてくれた神はやはり偉大である。それにしても、信仰を共にする心の友は今のところもしかしていないのでは。それもまた何かの意味があるのだろうか。

すべてが終わり、打ち上げでマックへ行った。学生かよ、いや、学生でももう少しいいところへ行くかもしれない。でも、そんなことは関係ない。久しぶりに食べるセットメニューは骨身に染みる。どうやら、みんなも同じことを思っているみたいだ。青春の風を漂わせながら、イートインスペースを占拠するぼくたち。そんな時間は、いくら払っても買えないものだと思う。無限の価値をみせる今この瞬間に浸りながら、氷から解ける水を飽くこともなく啜っていた。


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