一方井亜稀

詩を書いています。2011年に第一詩集『疾走光』(思潮社)を上梓、第17回中原中也賞最…

一方井亜稀

詩を書いています。2011年に第一詩集『疾走光』(思潮社)を上梓、第17回中原中也賞最終候補。以後、『白日窓』(2014/思潮社)、『青色とホープ』(2019/七月堂)。

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    noteに掲載した詩を集めました。

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    主にエッセイ、レビュー、日記。

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note、始めます。

はじめまして。 一方井亜稀と申します。 2011年に第一詩集『疾走光』、2014年に第二詩集『白日窓』(いずれも思潮社)、そして2019年には三冊目の詩集となる『青色とホープ』(七月堂)を出しました。 ふと思い立つようにnoteを始めます。 2011年に詩集を出してから、もうすぐ10年が経とうとしています。 この10年、自分は何をしてきたのだろうと思うことがあります。 気が付くと、同世代の親しい詩人たちは皆、それなりの賞を取ったり、雑誌の連載を持ったり、独自のプロジェク

    • 詩「ハイライト」

      スーパーの陳列棚に 冷えた肉が並んでいる その前を たくさんの人が通過していく 腐れば価値がない そのことを印すためのシールをぶら下げ 巡回する従業員が ため息を吐くのはまだ先のこと 生と死が交差する 明るい灯のもとで 積み上げられたビスケットに 手を伸ばすこどもたち 伸ばさないこどもたち あらゆる健康法を試す人の傍らで 今日も 自分が食うための飯があることが不思議だ 回る皿の上の肉 回る経済の上で 暴落する時間 雪が降っている 肉が腐敗する時間 雪が降り積もる 土に帰るまで

      • 雑居ビルを眺めながら 11

         アーケードから外れるように階段を下り、地下道を通り抜けると、ぽっかりと開けた空間に出る。中庭のような場所。次は階段を上る。そうしてようやく店に辿り着く。まさに隠れ家。近くまで来た時は必ず立ち寄るようにしていたのに、ずいぶんと足が遠のいていたことに気付く。  このカフェには本がない。本店には本棚がいくつかあって、窓際やカウンターにも本が並んでいた。表紙の擦れた村上春樹や江國香織。背表紙が日に焼けたカーサブルータス。だがコロナ禍に閉店してしまったから、今は時折思い出すことしか

        • 4:00 a.m

          朝と名指すには未だ暗い 空には雲が低く垂れ込め ラジオの天気予報が雨を告げる 駐車場に 一台の車があり それを見下ろす高さの窓に ともった灯りが消える 街は 何ものにもならない顔をして 静かだ 高速を過ぎるトラックさえ 闇に紛れる気がして それを見送ると 管理室の灯りを残し 老いた男は煙草を吸う ガラスの灰皿に 今時マッチを放るのは 何てことはない ライターを忘れて引き出しを漁った それだけのこと 仕事が終われば 何ものでもなくなるようで 鍵は握ったまま ガラスの底に映る部屋

        • 固定された記事

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        記事

          詩「波音は聞こえずに」

          砂利を踏む音が響いた 駅裏の駐車場 街灯が消えかけて 点滅を繰り返す 空にはまだ星のひとつも見えない マンションのベランダに 取り込まれないままの洗濯物が 風になびく 窓に順々と灯りがついて 砂利を踏む音だけが響く 駐車場で 思い出すのは 買いそびれたパンのこと 敷地の隅に 残されるようにある松の木が 音も立てずに揺れている 昔 この木を眺めたひとは 何を思い出したのか 灯りの消えた路上 ひび割れたアスファルト ブルーシートに覆われたものたち あれは 砂利を踏む音が響い

          詩「波音は聞こえずに」

          詩「じかん」

          白い部屋にこどもはいて 画用紙にひとつの家を書く 「これがぼくたちのいえってことね」 そこには椅子も机もなく タンスも皿もフォークもなく ベッドもタオルも時計もないから 次々と線は書き足されていく 「スプーンもいるよ」 輪郭だけを持つそれらは 色を持たない この部屋も白いから どこまでも線を書き足せた 表出した途端に消えるそれらは やがて時計を動かすだろう かきまぜる スプーンで 色を掬いながら 気がつくと 白い画用紙だけがある 白い部屋

          詩「じかん」

          雑居ビルを眺めながら 10

          海辺の街で大きな雑居ビルは見当たらなかった。おそらく自分が見落としていただけなのだが、商店街は生活の匂いと隣り合わせで、都会で見るような殺伐さは感じられない。寂しさはあっても違う種類のように思う。人が無関心に同居する都会の寂しさとは違って、人がいない寂しさ。それがふとした隙間に紛れ込んでいる。通りを歩いていても、人の声が途切れた瞬間にそれを感じる。小さな雑居ビルらしきビルはあるのだが、ただの観光者にとってはそこに入るだけの勇気がない。普段思っているのとは違う、アパートのような

          雑居ビルを眺めながら 10

          詩「夜行」

          バスに揺られていた 知らない町から 高速道路に乗るのはわかったが 日はとうに暮れていたから 車窓からは何も見えなかった 支給されたのは給仕服だった 給仕をするのだから当然だったが 一列に並んだ新人を前にチーフと呼ばれるひとが 一度だけレクチャーをして見せたあと すべては始まっていた 式場に集まったひとびとを 案内して椅子を引く 運ぶ皿にはひとつひとつ名前があったが 判別はつかないまま無言で差し出す まかないはレトルトカレー 市長からの祝電のあと 全員で踊るように指示があ

          詩「夜行」

          詩「八月」

          葉から葉へと 蜘蛛の糸は蔽い被さり 今朝方の雨の 滴をあつめて光っている 空は 嘘のように晴れ渡って 陽射しを避けるために 舗道から外れて ひとりの男が 木陰をなぞって歩いている 時折 林の方へと 体は吸い寄せられようとして 立ち入り禁止の看板を目印に ようやく戻ってくる 一日のうちに 日の射す向きは当然変わるから 境もまた曖昧に 時折 強い風は吹いて さらに輪郭は曖昧になる 影の中に影を埋め 安堵したのも束の間 滴が零れ落ちるのが見受けられ 掬い上げたはずの光さえ 容易に見

          詩「八月」

          雑居ビルを眺めながら 9

          ビルとビルの隙間を覗くと、その先に金網のフェンスはあって、蔦が絡まっている。旺盛に伸びる草をなぞった先には川があるのだろうか。その気配だけを受け取って確かめることはなく、再びビルの隙間に目を向けると、薄暗い真昼の壁はあって、開けられることのない窓が垂直方向に列を成している。見上げると、摺りガラス越しにハンガーの掛かる窓があり、だがその内実を知ることはないだろう。日が当たらないということが、人目につかないことを導いて、もう使われなくなった家電やガラスの破片が散らばっている。

          雑居ビルを眺めながら 9

          詩「夜を追う」

          小高い山の上の鉄塔がライトアップされて 郊外からもそれは見える 川を遡るように視線を泳がせると 高層ビルの灯り それに救われるひともいるから と微笑みながら 決して目を合わせないひとのことを思い出した 辺りには ヒグラシが鳴いている 誰かと比べないことと もっと辛い人もいるからと耐えることは 両立するのだろうか 線を引くたび 昔から変わらない筆跡だと どこに線を引くかも どんな形が浮かび上がるかも まるで普通だと言われて どこかで安堵していた それもまた特権だから と微笑む

          詩「夜を追う」

          205号室に暮らした 春編

          #時は過ぎて 引っ越しを決めたのは家が傾いたからだった。何だか当然のように書いてしまったが、本来ならもっと違う理由で越したかったものだ。 大学を卒業してしばらく、就職浪人の日々が続いた。アルバイトとハロワ通いの日々。いわゆる就職氷河期の時代。80社受けてようやく決まったという先輩の話を聞いていたから、半分は諦めていた。卒業した時の所属していた学部の就職率は50%を切っていたと記憶している。公務員になる人が多い大学だったから、民間企業を受けると「何で公務員にならないの?」と

          205号室に暮らした 春編

          205号室に暮らした 春編

          #大陸の風 鶴田さんがいなくなってしばらくして、中国からの留学生らしき人が引っ越してきた。大学も近いし、そもそもこのアパートは大学生協で斡旋している物件な訳だから、なんら不思議なことでもない。朝晩と大らかな異国語が聞こえるようになり、友人らしき人も多く訪ねてきて、週末にはにぎやかな場が開けた。玄関先にはキャベツが山積みになって、窓にはカーテンがない。部屋の前を通るたび、そこだけ大陸の風が吹くような、不思議な感じを覚えた。 文字通りの学生街で、近くのアパートからも週末になる

          205号室に暮らした 春編

          205号室に暮らした 春編

          #鶴田さん 一階に住むその人をなぜ鶴田さんなのか知っているかというと、玄関に名前が掲げられていたからである。表札ではない。立派な筆文字で「鶴田」と書かれた半紙が、玄関のドアの上に貼られていたのである。 鶴田さんはおばあさんで、ひとりでアパートに越してきた。誰かが訪ねてくるのを見た記憶はなかったし、こちらも時折見かけるくらいで、実は彼女のことはあまり覚えていない。しかし、雪が積もった時など、足を滑らせたら大変とお節介にも彼女の部屋の前を雪かきした記憶はある。張り詰めた空気の

          205号室に暮らした 春編

          開花

          眩い光が射す舗道を見下ろす コーヒー屋の窓際の席 アメリカンを啜りながら 希望のない世界は嫌だと 耳元で ラジオのパーソナリティが囁くのを 聴く 指先は iPhoneのニュースソースを彷徨いながら すべてを断ち切らないようにして 今日の天気は晴れ おそろしいほどの快晴 自動ドアが開くたび フェイクの観葉植物が揺れ 眩い光に触れ 埃が舞い上がる 見慣れ過ぎてもう 何の感情も沸かない プラスチックのトレイ マグカップ 皿の上には食べかけの ミラノサンド 齧るたび崩れ落ちるが いつ

          詩「春の川」

          一台 また一台を見送って あれが最後の一台のはずだと 道を渡るところまでは覚えていて 後のことは覚えていない 今となっては それさえも記憶違いのように 日々はあって 水面に映る影を覗き込むと 見覚えがあるようで 知らない街が見える 朽ちた実がやがて 路上で枯れ果て 雪で染められても まっさらにはなれなくて 春の路上に 立っているのは 雪とともに解けた 何ものか 文字をなぞって はじめて知るように思い出す この川を渡った人の 目が浮かぶ その目を借りて 見上げた空に 鳥

          詩「春の川」