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note、始めます。

はじめまして。

一方井亜稀と申します。
2011年に第一詩集『疾走光』、2014年に第二詩集『白日窓』(いずれも思潮社)、そして2019年には三冊目の詩集となる『青色とホープ』(七月堂)を出しました。

ふと思い立つようにnoteを始めます。

2011年に詩集を出してから、もうすぐ10年が経とうとしています。
この10年、自分は何をしてきたのだろうと思うことがあります。
気が付くと、同世代の親しい詩人たちは皆、それなりの賞を取ったり、雑誌の連載を持ったり、独自のプロジェクトを展開したり…。それぞれが然るべき努力とともに道を切り開いていて、遠くへ羽ばたいている。

すごいな、よし、私も。
そう思ってはみるものの、自分が書いたものを認めてもらうことは並大抵のことではありません。作品をパッケージして、コンセプトを伝え、その効果を予測する。ターゲットとなる読者層はもちろん、字数やどの誌面に載るかといった制約の中でものを書いていく。そういった中で技術を磨くことは楽しいことであると同時に、ひどく体力を消耗します。

ああ、私には遠い世界だな、と思いました。
もちろん、そんな書き方をしたからといって必ずしも良い作品が生まれるとは限りません。むしろ、詩はもっと静かなところにあるのだというひともいるでしょう。そして、第一線で活躍している詩人たちが皆そのようなことをしているということでもありません。むしろ彼らに共通していることは、自分の書き方を最大限生かしているということです。

無理せずリラックスしながら、自分の声を聞く。それを延々と続けること。表出の仕方に違いはあれ、長く書いているひとはそのような姿勢を維持しているような気がします。それは何かを越えるためのシビアな戦いでもあるかもしれません。

では私にとって物を書くことは、どういうことをさすのでしょう。そう考えた時、ひとつのことに辿り着きます。それは、誰もいない静かな場所で言葉を響かせることではないだろうか、と。

私の書くものは、窓の外を眺めるようにつまらないもの、かもしれません。そう、毎日乗る電車から見える風景のようなもの。だから、面白いことを求めているひとが見たらきっと取るに足らないものかもしれない。しかし、見える景色はひとによって異なります。毎日少しずつ変わっていくものでもあります。そのときは何てことのない景色だったとしても、その場所を離れて、あるいは時が過ぎて、ふと思い出すことがあるかもしれない。そんな時、何か響くことがあったなら…。そんな瞬間に立ち会いたくて、私は詩を書いているのかもしれません。

ライフワーク、といえばそうかもしれない。詩、エッセイ、写真、なかには落書きのようなものも。何気なく過ぎていく時間を切り取るように、静かな呼吸で、これからnoteを綴っていきたいと思います。

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