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暗箱

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記事一覧

詩「ハイライト」

スーパーの陳列棚に 冷えた肉が並んでいる その前を たくさんの人が通過していく 腐れば価値がない そのことを印すためのシールをぶら下げ 巡回する従業員が ため息を吐くのはまだ先のこと 生と死が交差する 明るい灯のもとで 積み上げられたビスケットに 手を伸ばすこどもたち 伸ばさないこどもたち あらゆる健康法を試す人の傍らで 今日も 自分が食うための飯があることが不思議だ 回る皿の上の肉 回る経済の上で 暴落する時間 雪が降っている 肉が腐敗する時間 雪が降り積もる 土に帰るまで

4:00 a.m

朝と名指すには未だ暗い 空には雲が低く垂れ込め ラジオの天気予報が雨を告げる 駐車場に 一台の車があり それを見下ろす高さの窓に ともった灯りが消える 街は 何ものにもならない顔をして 静かだ 高速を過ぎるトラックさえ 闇に紛れる気がして それを見送ると 管理室の灯りを残し 老いた男は煙草を吸う ガラスの灰皿に 今時マッチを放るのは 何てことはない ライターを忘れて引き出しを漁った それだけのこと 仕事が終われば 何ものでもなくなるようで 鍵は握ったまま ガラスの底に映る部屋

詩「波音は聞こえずに」

砂利を踏む音が響いた 駅裏の駐車場 街灯が消えかけて 点滅を繰り返す 空にはまだ星のひとつも見えない マンションのベランダに 取り込まれないままの洗濯物が 風になびく 窓に順々と灯りがついて 砂利を踏む音だけが響く 駐車場で 思い出すのは 買いそびれたパンのこと 敷地の隅に 残されるようにある松の木が 音も立てずに揺れている 昔 この木を眺めたひとは 何を思い出したのか 灯りの消えた路上 ひび割れたアスファルト ブルーシートに覆われたものたち あれは 砂利を踏む音が響い

詩「じかん」

白い部屋にこどもはいて 画用紙にひとつの家を書く 「これがぼくたちのいえってことね」 そこには椅子も机もなく タンスも皿もフォークもなく ベッドもタオルも時計もないから 次々と線は書き足されていく 「スプーンもいるよ」 輪郭だけを持つそれらは 色を持たない この部屋も白いから どこまでも線を書き足せた 表出した途端に消えるそれらは やがて時計を動かすだろう かきまぜる スプーンで 色を掬いながら 気がつくと 白い画用紙だけがある 白い部屋

詩「夜行」

バスに揺られていた 知らない町から 高速道路に乗るのはわかったが 日はとうに暮れていたから 車窓からは何も見えなかった 支給されたのは給仕服だった 給仕をするのだから当然だったが 一列に並んだ新人を前にチーフと呼ばれるひとが 一度だけレクチャーをして見せたあと すべては始まっていた 式場に集まったひとびとを 案内して椅子を引く 運ぶ皿にはひとつひとつ名前があったが 判別はつかないまま無言で差し出す まかないはレトルトカレー 市長からの祝電のあと 全員で踊るように指示があ

詩「八月」

葉から葉へと 蜘蛛の糸は蔽い被さり 今朝方の雨の 滴をあつめて光っている 空は 嘘のように晴れ渡って 陽射しを避けるために 舗道から外れて ひとりの男が 木陰をなぞって歩いている 時折 林の方へと 体は吸い寄せられようとして 立ち入り禁止の看板を目印に ようやく戻ってくる 一日のうちに 日の射す向きは当然変わるから 境もまた曖昧に 時折 強い風は吹いて さらに輪郭は曖昧になる 影の中に影を埋め 安堵したのも束の間 滴が零れ落ちるのが見受けられ 掬い上げたはずの光さえ 容易に見

詩「夜を追う」

小高い山の上の鉄塔がライトアップされて 郊外からもそれは見える 川を遡るように視線を泳がせると 高層ビルの灯り それに救われるひともいるから と微笑みながら 決して目を合わせないひとのことを思い出した 辺りには ヒグラシが鳴いている 誰かと比べないことと もっと辛い人もいるからと耐えることは 両立するのだろうか 線を引くたび 昔から変わらない筆跡だと どこに線を引くかも どんな形が浮かび上がるかも まるで普通だと言われて どこかで安堵していた それもまた特権だから と微笑む

開花

眩い光が射す舗道を見下ろす コーヒー屋の窓際の席 アメリカンを啜りながら 希望のない世界は嫌だと 耳元で ラジオのパーソナリティが囁くのを 聴く 指先は iPhoneのニュースソースを彷徨いながら すべてを断ち切らないようにして 今日の天気は晴れ おそろしいほどの快晴 自動ドアが開くたび フェイクの観葉植物が揺れ 眩い光に触れ 埃が舞い上がる 見慣れ過ぎてもう 何の感情も沸かない プラスチックのトレイ マグカップ 皿の上には食べかけの ミラノサンド 齧るたび崩れ落ちるが いつ

詩「春の川」

一台 また一台を見送って あれが最後の一台のはずだと 道を渡るところまでは覚えていて 後のことは覚えていない 今となっては それさえも記憶違いのように 日々はあって 水面に映る影を覗き込むと 見覚えがあるようで 知らない街が見える 朽ちた実がやがて 路上で枯れ果て 雪で染められても まっさらにはなれなくて 春の路上に 立っているのは 雪とともに解けた 何ものか 文字をなぞって はじめて知るように思い出す この川を渡った人の 目が浮かぶ その目を借りて 見上げた空に 鳥

詩「消失」

からっぽの都市は なぜか懐かしい匂いがして 季節を忘れた 蟻塚みたいなビルに陽が射して 死んでしまう理由はわかるのに どうして死んでしまうのか わからない僕らの手にも陽は降り注ぐ 郊外の空き地で 遠く棚引く煙を見ていたことがあったろう いつだって代用可能な かけがえのないひとりとして 僕らは育てられていく セロファン レーヨン セルロイド 竹 ボール紙 レコード盤 郊外の空き地に落ちていた画鋲が スニーカーの底に突き刺さっては 戦時中たくさんのひとが死んだ 戦後は

詩「雨に隠れる背中」

何てことはない。傘の中に隠れただけのことだ。消えた背中を見送りながら、歩を進めるこの身もまた傘をさし、葉陰に隠れるようにして、一滴のしずくを見失う。そうしてまた、落とした言葉を忘れていくのだ。この先の角を曲がればにぎやかな通りが開けているはずだが、今はまだ聞こえないざわめきのようなものの前に、わずかに抵抗するように傘の先からもまた一滴のしずくは落ちる。しずくの向こうは雨。雨と雨の間に目をあててみる。

詩「終わらない日々」

街はもうなくなってしまう ようだ 国道沿い 遠くに見えた夜景 川沿いを鳥の影がさまよって消えた 海の方へ 目をやると ラーメン屋のネオンだけが光っている そして滲む 雨とか 涙とか 水溜まりがひとしきり揺れる幻 人々が移動していく 決して群れは作らず ひとりまたひとりと 都市を捨てていく 荒廃の果ての楽園 笑うしかない店先のドール かき鳴らされたギターの音だけが耳を塞いで それだけを覚えている それだけしか覚えていなくて 街の灯りがひとつ消える まるで 煙草の火を消すように

詩「夜明け」

知らぬ間に閉じ込められていた というのは気のせいで 夜の闇が覆っていた 列に並ぶ人を見送り ためらいはない ほしいものなどない とわかっていたから 公園で立ち尽くしてもさびしくはなかった ダンスミュージックを鳴らして 高速道路に消えていく車を見送り 何もない夜 きっと 何もないことにしよう コンビニの灯りが見える 猫が戯れる 信号は点滅を繰り返して 温かい風が吹く 階段を駆け上がる声はやがて電車の音に消える 悲しいことなど忘れられていく iPhone に並ぶ文字 その向こうの

詩「アンテナ」

橋を渡った先の バッティングセンターが閉鎖された 一度だけ ここへ来たことがある 高いフェンスが錆び付いて ネットが風に吹かれて 足元を空き缶が転がっていく 国道沿いの食堂は まだあの時のまま残って 昼下がりの光が 白い軽自動車を照らしている こんなにも経ってしまったと思う度 まだここが在り続けているという 何てことはない 目の前に呆然として 約束は約束のまま 思い出は思い出のまま 見上げた先のアンテナに光が重なって 思わず目を瞑る ここからなら何でも見渡せる 気がして