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私がコンクールを受ける理由。
「もしも、ピアノが弾けたなら」・・・
をもじって、「もしも、コンクールを受けたなら」と、私がコンクールを受けるとしたなら、その理由を考えてみた。
誤解されてしまうタイトルだが、これは「仮想」であって、今すぐにコンクールを受けるつもりはない(笑)
前に、少~しだけ、コンクールってどんなもの?一ぺん受けてみてもいいのでは、という考えがよぎった。
一般の部でも参加できるコンクールっていっぱいあるし、結構氣軽に?受けている人も多い印象だったから。
でもその時はただの一過性の思いで、今は受けたいという氣持ちはないものの、
Youtubeでコンクールについて考察されていた動画があったので、それにも触発されて、改めて自分の考えをまとめてみたいと思った。
コンクールを「利用する」
私が考えるコンクールの目的は、微妙に違うものの、この二つだなと思った。
・アガリ症克服のため。もっと正確に言うと、アガリ症とうまく付き合うため、付き合い方を学ぶため。
・コンクールという緊張感のある場面で、自分の実力をどれだけ出せるか?どれだけ自分らしい演奏ができるか?を試すため。
特にこの「自分らしい演奏ができるか、自分が納得いくかどうか」を第一目的としたいと思ったので、はっきり言って賞やどれだけ勝ち進めるか、はどうでもいいと思った。
極端な話、審査員全員に総スカン喰らったとしても、自分が納得してりゃそれでいい・・のである。
(そんな極端なことは絶対ないけどね)
予選で最下位ではねられても、「自分のありのままの実力」が出せりゃあ、それでオッケーって感じ。
だから、コンクールという日常ではなかなか味わえない独特の緊張感、その中で自分のパフォーマンスを存分に発揮する、そのためのツールなのだ、私の中では。そういう位置付けにしようと思った。
基本、ストリートピアノだろうがホールだろうがコンクールだろうがピアノが弾ける機会があるのなら、では弾かせていただきましょう・・という氣持ちが一番にあるものの、コンクールのそれとストリートピアノのそれとは乗っかっているものが違う。
ストリートピアノは好きに弾いてもいいけど、コンクールはちゃんと曲を一定以上に完成させないといけないし、そういう意味では、ストリートピアノを弾くのとは訳が違うよなあ…と思う。
そもそも在り方が違う。コンクールってあくまでも「競争」だから。
(そうじゃないコンクールもあるけど)
それに、お客さんだってちゃんと聴こうとして来られているわけだし。
だから、そういう状況に身を置いた時に自分を思いっきり出せるようになりたい。
外側の状況に振り回されずに自分を保つ・・
こう書くと修行かって突っ込まれそう(笑)
でも、これってピアノに限らずすごく大事なこと。
コンクールを通して、また演奏を通して、そういうメンタルが培っていければ最高だなと思う。
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ただコンクールを受けたい、というぼんやりしたものでは私の中で納得がいかず、コンクールを有意義な経験にするために自分はこういう在り方でいたいな、と思ったから、一度、言語化してみた。
・・でも、いわゆる普通の発表会と、コンクールとで、緊張度合いって、変わってくるんだろうか・・・?
コンクールは審査員の先生が聴いているから油断はできないけど、普通の発表会は少しくらい氣を抜いたっていい、ということでもあるまいし。
この辺は経験がないので分からないが、多分あまり変わらないような氣もする。
でも、ストリートピアノに慣れてきたからって、コンクールでも同じように弾けるかといえば、それはまた違ってくるだろうとは思う。
そしたらまた振り出しに戻ってしまうかも知れないが、そうなったらなったで、場慣れするまで出場するしかないのかもしれない。
新しい職場で、慣れていくのと同じように・・・
でもまあ、こういっちゃ何だが、ストリートピアノとコンクールで使われるピアノはクオリティが違うから、コンクールの方が良い音が出るのは想像に難くない。
なので、結論は、良いピアノで弾けることに感謝しながら氣持ちよく弾けたら一番いいよね~ってことになりました(笑)
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