赤神 音羽

自分が何者かと聞かれたら、即答できない程度にふんわりとした存在なので、何者かになろうと…

赤神 音羽

自分が何者かと聞かれたら、即答できない程度にふんわりとした存在なので、何者かになろうとしていく過程を、積み上げている最中です。俗世での通り名は、ワールドクリエイター。

記事一覧

19回目の上京記念日に寄せて

世間一般の今日という日の認識と、それについてのコメントは特に述べません。 忘れることはないだろうし、でも、もう過去のことなのだよとも思う。 人は人である以上、明日…

赤神 音羽
3年前
3

正直に全部言います、もうこいつダメですわ。

「怪我さえなければ、きっと大記録を達成しただろう」と言われる野球選手の話を聞いて、僕は胸が痛くなる。 もっと自分がまともだったら、今よりも成功していただろうと思…

赤神 音羽
3年前
1

呪いのようなこの身体の機能不備について

「早く人間になりたい」 よく、半分ネタでつぶやいていたセリフだ。 半分、ということはもう半分は本気である。 その意味が、どんなふうに伝わっていたかについて確認した…

赤神 音羽
4年前
3

希望という病

10代最後の歳、カート・コベインに憧れてひげをぼうぼうに伸ばし、髪も伸ばし放題にしていた僕に、先輩がつけたあだ名が「下北のルンペン」だった。 狭いユニットバスで、…

赤神 音羽
4年前
1

定点観測のためのひとりごと。

今日、厳密に言うと4/24をいつか振り返ったときのために、この記事を残しておく必要があると思い、今これを書いている。 非常に個人的なものなので、なんだか申し訳ないと…

赤神 音羽
4年前

カート・コベイン後の白紙の人生によせて

赤神はバンドをやっていた。 一応言うならば、辞めたつもりもない。しかし「やっている」と表現するのは、あまりにも活動できていない年数が重なってしまっているから、過…

赤神 音羽
4年前
1

それでも僕は歩みを止めない。

先行きが見えない時代になってしまった、というのは簡単だけれど、油断するとそんな言葉が溢れてしまう日々だ。 言わずもがな、世界は今、未曾有の危機に晒されている。 日…

赤神 音羽
4年前
1

ある新聞配達少年の顛末

「アルバイトしたことありますか」と聞かれたら、みなさんはなんと答えるだろう。 よほど親に恵まれてでもいない限り、割と経験するものなのではないだろうかと思うけれど…

赤神 音羽
4年前
2

存在価値を自問した少年の末路

1998年3月22日の故郷は、外に出られないほどの吹雪だったらしい。 もう、春しか感じない陽気だった昨日、3月21日の空の色を思い出しながら、にわかに信じがたい気分になる…

赤神 音羽
4年前
2

探し求めた本は存在すらしなかった

詐欺師は糾弾されてもよいと思うけれど、騙されて快感や爽快感、尊敬の念を抱いてしまうことが世の中にはあると思っている。 ロックスターはキッズを騙してなんぼだ、みた…

赤神 音羽
4年前
3

上京記念日に寄せて

noteの登録名の漢字を間違えていたことに今気づき、苦笑したところから始めましょうか。 弟子ちゃんのペンネームの画数が悪かったので、ドヤ顔でいい画数の名前をプレゼン…

赤神 音羽
4年前
1

赤神 音羽というモノになる前に

僕は東北のある町で生まれ育ち、大願とやらを抱えて上京し、27歳で伝説になると繰り返しながらライブハウスを転がり続け、アルバイトはバックれ続け、気づけは26歳になって…

赤神 音羽
4年前
2

19回目の上京記念日に寄せて

世間一般の今日という日の認識と、それについてのコメントは特に述べません。
忘れることはないだろうし、でも、もう過去のことなのだよとも思う。
人は人である以上、明日に進まねばならぬ。ただそれだけ。
黙禱はもう捧げたので、個人的な話をします。

今日は、去年まで封印していた個人的な記念日です。10年以上前から。
19回目の、上京記念日を迎えました。

日本列島の鼻があるところ出身です、というネタが大抵

もっとみる

正直に全部言います、もうこいつダメですわ。

「怪我さえなければ、きっと大記録を達成しただろう」と言われる野球選手の話を聞いて、僕は胸が痛くなる。

もっと自分がまともだったら、今よりも成功していただろうと思うことが少なくないからだ。

もう隠し通せるものでもないだろうし、そうするのもやめようと最近本当に思うので言うけれど、僕の頭と身体は多分イカれている。
やるべきことができなかったり、後回しにしてしまったりすることについて、心が弱いとか、怠

もっとみる

呪いのようなこの身体の機能不備について

「早く人間になりたい」

よく、半分ネタでつぶやいていたセリフだ。
半分、ということはもう半分は本気である。
その意味が、どんなふうに伝わっていたかについて確認したことはないけれど、よくも悪くも受け流されていたことだろう。

早く人間になりたいものだ。

自分の至らなさについての自己嫌悪が、いつから始まったものか遡ることはあえて今しないけれど、14のときに初めて書いた日記にも「今日しなかった」こと

もっとみる

希望という病

10代最後の歳、カート・コベインに憧れてひげをぼうぼうに伸ばし、髪も伸ばし放題にしていた僕に、先輩がつけたあだ名が「下北のルンペン」だった。

狭いユニットバスで、ゆうに3週間は伸ばしたであろう髭をハサミで切りながらそんなことを思い出した。
風呂釜の底に、働き蟻の会合みたいな黒い染みができた。

これまた3週間かそれ以上ぶりに駅に向かう道すがら、よく晴れた空を見上げながら思う。あっちぃなマジで夏か

もっとみる

定点観測のためのひとりごと。

今日、厳密に言うと4/24をいつか振り返ったときのために、この記事を残しておく必要があると思い、今これを書いている。
非常に個人的なものなので、なんだか申し訳ないとは思いつつ、この場所は日記的な側面も有しているので、どうかご容赦いただきたい。

ここから書く内容は、ある種、自分にしか理解できない暗号なので、読みづらく受け取りづらいものであることを、先に謝罪しておきます。

とりあえず、今の気持ちは

もっとみる
カート・コベイン後の白紙の人生によせて

カート・コベイン後の白紙の人生によせて

赤神はバンドをやっていた。
一応言うならば、辞めたつもりもない。しかし「やっている」と表現するのは、あまりにも活動できていない年数が重なってしまっているから、過去形にするしかない状態である。

この場所に、一番はじめに綴った記事を読んでいただければ「まあそうなんだろうな」と感じていただけるだろうけれど、そこに散りばめられた「27歳」だの「伝説」だのという表現については、あまりにも中二くさくてなんの

もっとみる
それでも僕は歩みを止めない。

それでも僕は歩みを止めない。

先行きが見えない時代になってしまった、というのは簡単だけれど、油断するとそんな言葉が溢れてしまう日々だ。
言わずもがな、世界は今、未曾有の危機に晒されている。
日々増える感染者の数と政治家を批判する声、死に向かっていく経済とそれに抗う様々な人の営みを見つめながら、手にとった日記は9年前のものだった。

昨日、3人の貴重な仲間と、会社の状況を共有しつつ、これからどうしていくかという話をする少し前、開

もっとみる

ある新聞配達少年の顛末

「アルバイトしたことありますか」と聞かれたら、みなさんはなんと答えるだろう。
よほど親に恵まれてでもいない限り、割と経験するものなのではないだろうかと思うけれど、それは上京してから、身の回りにフリーターばかりだったから感じることなのかもしれない。僕は、十数年ずっとバンドマンだった。

僕にアルバイトの話をさせると日が暮れるほど話題があるのだが、それは別の機会に譲るとして、思い返すとなかなかワーカホ

もっとみる

存在価値を自問した少年の末路

1998年3月22日の故郷は、外に出られないほどの吹雪だったらしい。
もう、春しか感じない陽気だった昨日、3月21日の空の色を思い出しながら、にわかに信じがたい気分になる。

「やっぱどっか変だね。異常気象」
拙い字で書かれた文字に向かってつぶやく。
それから22年経ったけれど、相変わらずどころか酷くなるばかりだよ。
今年は、全然雪がふらなかったんだ、と。

「パリオ学習帳」と書かれた「国語」のノ

もっとみる

探し求めた本は存在すらしなかった

詐欺師は糾弾されてもよいと思うけれど、騙されて快感や爽快感、尊敬の念を抱いてしまうことが世の中にはあると思っている。

ロックスターはキッズを騙してなんぼだ、みたいに言われるようなこと。

僕は10代でとんでもない詐欺にあって、その後の人生がねじ曲がったとさえ思っているが、今ではそれに感謝している。
そんな話をします。

本来の意味とやらはすでに霧散し、「イタい」の代名詞にでもなってしまったかのよ

もっとみる

上京記念日に寄せて

noteの登録名の漢字を間違えていたことに今気づき、苦笑したところから始めましょうか。
弟子ちゃんのペンネームの画数が悪かったので、ドヤ顔でいい画数の名前をプレゼントしたものの、その字に引っ張られるという体たらく。
まだ修行が足りないらしい。いや、一生足りないか。

今日は自分にとっては本来記念日であった。
ワースト記録の保持数では群を抜く、愛しの故郷から上京してきたのが、十数年前の今日である。

もっとみる

赤神 音羽というモノになる前に

僕は東北のある町で生まれ育ち、大願とやらを抱えて上京し、27歳で伝説になると繰り返しながらライブハウスを転がり続け、アルバイトはバックれ続け、気づけは26歳になっていた。

ふと立ち止まり、もう少し、バンド以外の時間を幸せに過ごしてもいいんじゃないかと魔が差して提出した履歴書が面白がられ、ソーシャルゲームの会社に入ってからは、水が合ったのか幾ばくかの才能があったのかで、トントン拍子に評価され、気づ

もっとみる