上京記念日に寄せて

noteの登録名の漢字を間違えていたことに今気づき、苦笑したところから始めましょうか。
弟子ちゃんのペンネームの画数が悪かったので、ドヤ顔でいい画数の名前をプレゼントしたものの、その字に引っ張られるという体たらく。
まだ修行が足りないらしい。いや、一生足りないか。

今日は自分にとっては本来記念日であった。
ワースト記録の保持数では群を抜く、愛しの故郷から上京してきたのが、十数年前の今日である。

自分にとっては節目だったので、WEB上にはよく毎年自分語りを綴っていたのだけれど、この話題を封印してからもう9年が経つ。
そのうちに、上京してきた日に高速バスから眺めた風景と感傷なんてものは忘れてしまった気になっていたが、今日ふと思い出した。

今年の誕生日が来てしまえば、故郷で過ごした年数と、東京で過ごした年数がとうとう肩を並べる。

なりたかったものとは随分違う仕事をしている気もするけれど、逆に想像していなかった生活をしているとも思う。
バンドをやっていた頃は、本気で30歳以降の未来図が見えなかったし(27歳で死ぬつもりだったらしいので、見えなくて当然なのだが)、ましてや社長やってるなんて1mmも考えなかった。社長って簡単になれるし、なったからといってなんてこともないというのも知った。

一番びっくりしているのは、この歳にもなってまだ、自分探しのようなことをしている事実だ。
自分探しなんて90年代の流行り病みたいなもんだったのにさ。
未だに、自分に語りかける回数、不動のNo1は「お前は何がしたいんだ」ですおめでとうございます。

その姿はぼんやりと掴めているし、それがガキの頃から変わっていないことは、もう変えようのないことなんだなとは自覚しているだけ、まだマシなのかもしれないが、相変わらず終着点は靄がかかって見える気配がない。

何度も迷ったし立ち止まったけれど、結局できることは、それでも思ったことを試していくことでしかなかった。
今それを再び強く感じている。

いきなり目の前の景色が変わることはありえない。
ないとは言えないが、それはそれである。
一夜の奇跡を期待して、大切なことを間違えてはいけないと思う。強く思う。

時間は、絶対かかるのである。時短なんて、おそらく存在しない。

とにかく今は、文章を書こうと思う。
得意なことは、それくらいしかなかったのである。

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