定点観測のためのひとりごと。

今日、厳密に言うと4/24をいつか振り返ったときのために、この記事を残しておく必要があると思い、今これを書いている。
非常に個人的なものなので、なんだか申し訳ないとは思いつつ、この場所は日記的な側面も有しているので、どうかご容赦いただきたい。

ここから書く内容は、ある種、自分にしか理解できない暗号なので、読みづらく受け取りづらいものであることを、先に謝罪しておきます。

とりあえず、今の気持ちは虚勢ではなく、すっきりとしている。
なんなら希望に満ちてさえいる。

赤神という人間は昔から、それは多くの場所を去ってきた。
それは大抵褒められた方法ではなかったが、それによって得られるのは、深い自己嫌悪と同じくらいの質量の希望であった。
人の人生や行いは本質的にはリセットし難いものだが、あたかもリセットしたようなフレッシュ気分になることは割と可能だ。
例えば、何かを辞めるということはまさにそれで、僕はバイトをバックレて逃走するたびに、不謹慎にもそれを感じていた。
逃げていなくなって関係が切れるのだから、ある意味本当にリセットの側面があったのだけれど。

脳は新しい刺激を嫌がるというけれど、新しいことを始めるのは楽しいものである。
……と、僕は思うが世間一般がどうなのかは知らない。
空気を読まず「楽しいですよね」と言い切っておく。

とにかく僕は楽しいと思うタチなので、今は新しいことが始まる、始まっていることにワクワクしている。
失ったものがあるように思わなくもないが、別に未練はない。本当にない。
なぜならもうそれに魅力がないからである。本気でないと思う。

負け惜しみじみたニュアンスがどうしても漂うので、本当はほとぼりが冷めるまではやめておこうと思ったのだけれど、今日の気分は今日しか記録できないので、死ぬほど回りくどい言い方で残すことにした。

ここに記事を書くためにいつも繰る、過去の自分の記録である日記を見るように、いつかこの文章を振り返ったならば、そのときの自分はこう言うだろう。

辞めてよかったね、と。

尊敬する盟友が教えてくれたことがある。
物語において、満たされた完全な世界がどうして否定されるのか。
それは、停滞を意味するからだ。
人間は進化する生物である。
進化するために、明日へ進み続けなければならない。
完璧な世界とは、これ以上がない世界。
進化を止めた世界なのである。

故に人間は、それを否定せずにはいられない。

ここまで書いて、たとえ話が適切ではなかったことに思い至る。
まるでこれだと、置いてきた世界が完璧なそれみたいに見えるじゃないか。

そんなこたぁないのである。
僕がそこに見たのは、残念すぎる「人間の限界」でした。

実現したい世界はそこにはもうない。
だから僕は、もう次に行きますね。

おつかれさまでした。
僕からは、以上です。

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