呪いのようなこの身体の機能不備について

「早く人間になりたい」

よく、半分ネタでつぶやいていたセリフだ。
半分、ということはもう半分は本気である。
その意味が、どんなふうに伝わっていたかについて確認したことはないけれど、よくも悪くも受け流されていたことだろう。

早く人間になりたいものだ。

自分の至らなさについての自己嫌悪が、いつから始まったものか遡ることはあえて今しないけれど、14のときに初めて書いた日記にも「今日しなかった」ことについて言及していた気がする。

僕は、夏休みの宿題を最終日まで持ち越してしまうタイプだったし、「しなかった」「できなかった」についての後悔はかなりしてきたほうだと思う。
比較的行動力があったので、自分に何かを課したり、何かを始めたりすることが多かった分、しなかったできなかったも増えた。

まだ長くもないけれど、そこそこ生きたこの人生、その繰り返しだった。
人生を通して、躁鬱のようなバイオリズム。
希望に満ちて褒められるような行動力を発揮することがあれば、泥のようになって床に転がっていることも多かった。

どうしてきちんとできないのか、どうして怠けるのか、どうして先送りにしてしまうのか。
何度も、何度も自分に問いかけ、追い詰め、そのたびに変わりたいと唱えたが、赤神になる前の自分が変わる兆しはなかった。

この名前になってからも、そこだけはどうしても変わらぬ。

もう呪いのようなものだと、さすがに割り切ることができたから、今でも生きているけれど、よく生きているものだと、思うことがある。
人が、正しく機能不全であるかどうかについて、それを診断する存在がこの世にはいるが、こと精神・心理、いわゆる心に対する判断については、未だに疑問を抱いている。

僕という人間が、どこかしら故障しているのかどうかについて、昔ほど思い悩むことはないけれど、バイオリズムの底はある日突然、落とし穴のようにやってくるので、そのときだけは、地の底で天を睨んで呪うのである。

人間になりたいと。

はたや、これが人間というものなのか。
入力した命令を正確に遅延なくこなすのが機械だとすれば、それに反発する仕様が内包されているという点こそ人間だと言えなくもないだろう。

なんでそんな仕様入ってんだか。
設計ミスだろマジで。
こんな状態で納品されたからこそ、人間は愚かなんでしょうかね。
そら宗教生まれるわ。

王様の耳はロバの耳。
ままならなさを吐き出して、明日、少しマシに生きられるのならば、それこそ希望とでもいうもんだろう。


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