存在価値を自問した少年の末路

1998年3月22日の故郷は、外に出られないほどの吹雪だったらしい。
もう、春しか感じない陽気だった昨日、3月21日の空の色を思い出しながら、にわかに信じがたい気分になる。

「やっぱどっか変だね。異常気象」
拙い字で書かれた文字に向かってつぶやく。
それから22年経ったけれど、相変わらずどころか酷くなるばかりだよ。
今年は、全然雪がふらなかったんだ、と。

「パリオ学習帳」と書かれた「国語」のノート。
それこそが、僕が初めて思い立って書き始めた日記である。

鉛筆で書かれた日々の切り取りの隙間に見え隠れする幼い自分の顔……だけならまだしも、あまりに変わっていない自意識過剰で斜に構えた自分が行間から溢れ出していて、本当に腹立つ。
草を生やしてごまかしたいところだが、茶化したところで事実は変わらない。
ほんと、かわいくねぇガキだ。でもそれは、若かりし頃の自分なのだ。

その可愛げのなさを証明するために、平成10年1月31日(日)午後11:03に書かれた一番最初の日記を紐解いてみよう。

音羽少年は、日課の筋トレと自主学習をサボった自分を嫌悪しているうちに「いつものくせで、人間の存在価値なんかを考えるようになっていた」。
そして終いには「自分はなぜ存在するのか」とノートに疑問を記す。

是非とも、音羽少年に教えてやりたい。
22年後の君は、まだその結論を持っていないのだよ。

難しいことを考えていたのか、考える「フリ」をして格好をつけていたのか、今となってはわからないのだが、それがすっかり板についた大人になってしまったことは認めざるを得ない。
小難しい自問をタラタラとし続ける割には、何にもたどり着かず、何の答えも持たず、まだアホ面をぶら下げて生きている。

これから掘り下げていくだろう他の日記群にも、赤神音羽という人物が同じ問いや、同じ煩脳をぐるぐると繰り返し、右往左往して生きている姿が刻まれているのだろう。

生き恥を晒してここまで来たが、どうやらまだ死ぬ気配もなし。
ワニくんの如く突然人生が終幕する可能性はあるが、何事もなければまだ生きるのだろうから始末は悪い。
せめて、生きるからにはその問いにせめてもの決着をつけねばなるまい。

音羽少年には詫びよう。
君は大人になっても、情けないままだよ、としか言えない大人になったのだから。

だからその後に、大人特有のずる賢さで煙に巻くようにこう付け加えておこう。

けれど、まだ見ぬ、まだたどり着かぬ場所へ進んでいることは確かだよ。
それだけは確かだから、このまま信じていくしかないのさ。

すべては、死ぬ瞬間のカタルシスを得られるかいなかの余興である。

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