探し求めた本は存在すらしなかった

詐欺師は糾弾されてもよいと思うけれど、騙されて快感や爽快感、尊敬の念を抱いてしまうことが世の中にはあると思っている。

ロックスターはキッズを騙してなんぼだ、みたいに言われるようなこと。

僕は10代でとんでもない詐欺にあって、その後の人生がねじ曲がったとさえ思っているが、今ではそれに感謝している。
そんな話をします。

本来の意味とやらはすでに霧散し、「イタい」の代名詞にでもなってしまったかのような「中二病」(もしくは厨二病)という言葉があるが、僕は実際に中二の頃にそれを患っていたし、今となっても完治の見込みはない。

そんな僕は、ある作品と出会い、当時その原作を探し求めていた。
原作者が「この作品には『原作』がある」とご丁寧に巻末で説明してくれていたから、どうしてもそれが読んでみたかったのだ。

少しわかりづらいので、「原作者」は僕が出会った作品を作った人、「原作」は彼が語った古い書物と先に定義しておこう。

中古の本屋、有り体に言えばブックオフとか、図書館とか、古そうな本があるところを片っ端から探した。

ここまで書いて、中学生の時にあのブックオフが果たしてあったのか、その記憶は高校時代のものではないかと猜疑心が生まれたけれど、記憶の強度なんてそんなもんなので、よしとする。

その本はついに見つからなかったし、東京の古本屋などに行かないと手に入らないのではないかと思ったりしたものだった。
大人にこそ聞かなかったが、幼少からよく入り浸っていた近所の友人宅に居合わせた年上の人に聞いてみたりもした。
もう名前も顔も忘れてしまったが、その人にこんなことを言われた。

「それってネクロノミコンじゃなくて?」

それは、言わずと知れたクトゥルフ神話の体系を築き上げたラヴクラフトが書き記した書物。

ではない。

それは彼が残したクトゥルフ神話群に登場する「架空」の魔術書である。

年上に対して、まだ髪が赤くなかった中坊はこう返した。

「違うんです、確かにラヴクラフトのネクロノミコンをモデルにはしてるらしいんですけど、俺が探してるのは『ミロクネノコン』って言うんです。」

弥勒根ノ魂。

それが僕が愛してやまなかった漫画の原作とされる書物だった。

その後、ミロクネノコンの一部は、満州時代に発行された兵藤北神なる人物の全集に記されているという情報を得た僕は、それも熱心に探した。
古本屋のガラスショーケースの中を見つめたり、ビニールテープで縛られ、古本屋の棚の上に乱雑に置かれたいかにも古い本ばかりに目をつけたり。

漫画の冒頭に引用された、日本神話をもじったような文章と、水彩調の美しいイラストに心を奪われていた僕は、是非とも原文でそれを読みたいと思ったのだった。
しかし、その古書も、当然ながら見つかりはしなかった。

だって、存在しないのだから。

僕に質問を投げかけた彼が、「ネクロノミコン自体がそもそも存在しないよ」と言ってくれさえすればよかった気もするが、今では真実を告げてくれなかったことに感謝している。
単純に、知らなかっただけかもしれないが、だとしたら、その偶然にやはり感謝せずにはいられない。

ありもしない本を探し求めて奔走したあの時間が、今でも僕の中に生きている。

稀代の詐欺師は、漫画という虚構の世界を飛び越えて、片田舎に住む少年の現実世界を書き換えて見せたのだ。

ちなみに、その原作者が世紀末に生み出した新しい作品に登場するキャラのモデルとして挙げられた、実在した60年代のテロリストでありロックスターの名前と彼の海賊版のレコードも、原作者にそのレコードの存在を教えた大学の同期で心理学者である男も、結局「存在しなかった」。

20も超えた僕がまんまとまた騙されたその話は、また機会があればいつかしようと思う。

バンドで伝説になるとほざいていた僕が、一周か二周回って今、文章を書きエンタメ業界の端っこにいられることに必然性すら覚えるのは、あの詐欺師に魅せられてしまった原体験が深く突き刺さっているからだと思う。

虚構が現実の壁を融解させてしまう瞬間をずっと求めている。
何度かその瞬間を体験したけれど、まだ、もっと、この先が見たい。


最後に、その詐欺師の名前を記しておこう。

大塚英志。

ずっと、僕の心の師匠です。
本当に、ありがとうございます。

合わせて。
半ば打ち捨てられかけていた僕のブログに、同じ作品を愛する気持ちを残してくれた幾人かの方々。
僕がひたすら読むことを拒んでいる、最後の物語のタイトルをTwitterに残してくれた友人へ。

ありがとうございます。
終わらない昭和に置いてきた自分を、いつか自分の力で連れ出したいと思います。

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