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カート・コベイン後の白紙の人生によせて

赤神はバンドをやっていた。
一応言うならば、辞めたつもりもない。しかし「やっている」と表現するのは、あまりにも活動できていない年数が重なってしまっているから、過去形にするしかない状態である。

この場所に、一番はじめに綴った記事を読んでいただければ「まあそうなんだろうな」と感じていただけるだろうけれど、そこに散りばめられた「27歳」だの「伝説」だのという表現については、あまりにも中二くさくてなんのことか伝わりづらいと思う。
あまりにも中二くさいのだけれど、当の本人にとっては非常に大真面目に語らざるを得ない中二くさい話を、今日はしようと思う。

今日でなければ、できない話でもある。

いつもは、中学生の頃から断片的に続いた日記、ノートに書かれたそれを開きながら話すのだけれど、もう一つ、僕という人間の戯言を綴ったものがある。
いわゆる「公開日記」であり、「ブログ」と呼ばれるものだ。
そう言えば、ここが何度目の場所かはもうわからない。
節目節目に、ノートを切り替えるように場所を変え、中にはサービスの終了と共に永遠にネットの海に消えた文字列もあるが、そのほとんどは、未だにアクセスすることができる。

その中で、何度も触れた話でもある。

「1994年4月8日」

稀代のロックスターが、自宅で死を遂げたというニュースが世界中を震撼させた。
彼の名前はKurt Donald Cobain。享年27歳。

ディストーションをぶっ壊れるほど踏み散らかして、ロックをぶっ壊して、ロックをぶち上げた伝説のバンド、「nirvana」のカート・コベインその人である。

僕は彼に憧れて、フェンダー・ジャガーとオレンジ色のBOSS・DSー1を持って上京したキッズだった。
彼のようなロックスターになりたくて、憧れすぎて一瞬うつ病のフリをしたり、ギターで自分の頭をぶん殴ってみたり、ぶん投げてみたり、借金こさえて人生ぶん投げそうになってみたりした、どうしようもないバンドマンになった。

それでも根っからの小賢しさは抜けなかったせいで、イカれた何かにはなりきれずに、26歳で立ち止まってみた結果、ソーシャルゲーム業界に足を踏み入れて今に至るのは、もうすでに語ったことだ。

その頃には、僕は現実のしっぽが見え始めていたつもりだったし、なんとなく自分の夢と折り合いをつけていくのだろうと思っていた。
けれど、蓋を開けてみれば、27歳を迎えた最初のライブの直後、僕はいいようがないほどの絶望を覚えて、深く沈むのである。

僕は自分が思うよりもずっと真っ直ぐなバカで、本気で27歳で伝説になって消え去る気だったんだと、そのとき初めて気づいたからだ。

目指して10年もしない程度の話だけれど、僕は27歳で消えるプランで生きていたようなので、それ以降のキャリアをまったく想像していなかった。
そろそろ笑ってもらっていいのだけれど、ノストラダムスの予言が成就するから受験をしなくていいと本気で思っていた人間の脳みそはそう変わらないのである。

真っ白な人生計画を見つめながら僕が発明した概念は「余生」であった。

27で死んだものだと思って、目的がまったく設計されていない人生をしばらくは、下手したらそのまま生きなければならないと思いながら、僕はソーシャルゲーム業界で、なんとなく充実した生活を送っていくのである。
思えばその頃か、LINEのプロフィールに設定した「余生」という一言が、いまだにそのまんまだ。

それ以降、僕は誕生日に同じ話を繰り返しながら、余生一年、二年と数えるようになった。
もうすぐ、余生9年目を迎える。

何も、ずっと空っぽだったわけでもない。
4年前に出会った存在が、そこから僕を集大成とも言える仕事に導いてくれたし、それは僕を救ってくれさえしたけれど、きっともうすぐ僕はそれに別れを告げる。
次の世界に、いかなければならない。

歩く自己顕示欲だった僕が、裏方に回ってもいいやと思えた4年間だったけれど、今思うのは、やっぱり赤神は相変わらず恥ずかしいくらいに変わっていなかったということです。

最近はよく、ギターを弾いています。やっぱり下手くそなままだけど。

本当なら、4月8日は、日本中のライブハウスでnirvanaが演奏されたあり、彼に影響を受けたバンドマンがイベントをやったりする日なのだが、世界を暗く包むウイルスの影響で、どこでも音はなっていない。

そんな世界を、カートはどんな気持ちで眺めているんだろうか。

うるせぇよ、ぶっ壊せ。
黙ってディストーション踏んでろ。
大抵のことはクソくらえだ。

そんなふうに言ってくれるんじゃないかなーなんて、勝手に理想を押し付けておく。

やっぱり、あなたがぶっ壊してくれたこの頭は、ぶっ壊れたまんまだよ。

徐々に錆びているかもしれないけれど、燃え尽き方がまだ思いつかないから、もう少し生きます。

日本から愛を込めて。
Thank you.

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