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私が将来やりたいことは、、?

私が将来やりたいと思うことについて、少しだけここに残していようかなと思います。

いきなりなんだと思うかもしれませんが… 現在26歳。仕事をする毎日の中、よくボーっとこのあとの人生をどう生きようか、将来何のために時間を費やそうか、そんなことを考えます。

こうやって書いている間も、自分の考えていることになんとなく迷いがあるのは確かです。でも、思いのまま自分らしく人向けに発信して、最終的に成し遂げたかった事が叶えられればいいなと思います。

私のやりたい事は2つです。

「自分と関わる周りの人々が幸せになれるような仕事をしたい」ことと、「教育を十分に受ける機会に恵まれない環境に育った人たち(低所得、母子家庭、難民など)が自分で道を拓くためのサポートをしたい」ことです。

まず「自分と関わる周りの人々が幸せになれるような仕事をしたい」という私も思いですが、それは経営者でも会社員でもどんな働き方でもよく、私ができることで周りの人々の生活や心が満たされるような影響力ある仕事に没頭し社会に貢献ができればいいなと思っています。

最近は立場として経営者も楽しそうだなとも思うようになりました。前までは経営とか全く興味なかったし、自分とはかけ離れた存在の人がやるもんだと思ってたけど…。

お金をたくさん持ってて高級車に乗り、左団扇な生活をしてる事に対しての憧れはなく、それよりも社員や誰かのために責任を背負い、人知れず色んな苦労があるもそれを糧に生きている姿にあこがれる。

「年収1,000万は欲しい」「旦那さんの力を借りなくても自分一人でしっかり稼げるようになりたい」「有名になりたい」こんなことをあれこれ私の横でつぶやく友達がいます。人の価値観なので揶揄することはないけど、そこらに対しての魅力は私はあまり感じていません。

お金は単に自分がどれだけ生産したかということに対する評価の一つに過ぎないし、それよりももっと大切なのは、世の中にどれだけエキサイティングなものを出して、それによって社会がどう変わってどう世の中に寄与するかという視点です。どんな仕事をしても何を発信しても、他人に寛容になるという視点も、全く同様にいえる大切な話だと思います。

今自分がいる場所で一緒に仕事をしている人々や、家族や友達がいつも通りの生活で歓びを感じて幸せに思える瞬間をつくれるような存在でありたいです。自分の存在が人に頑張るエネルギーを与えたり、生きる糧になるって、相当素敵なことじゃないですか、、そんなロマンを感じながら、本気でそう思うのです。

また、「自分と関わる周りの人々が幸せになれるような仕事をしたい」という思いの裏には、これまでたくさんお世話になった人たちへ何倍も恩返しがしたいからです。

両親、友達、親戚、先生や教授、福島のおばちゃん。。
100円さえ惜しいと思った学生時代、本当にたくさんの方々に助けられました。それは決してお金で助けられたわけではなく、人の温かさで救われました。福島に住んでいるお知り合いの方は食べ物を大量に送ってくださったり、友達から手紙がもらったり。嫌な日も疲れてた日も、一気に心が癒されて…本当に嬉しくなりました。

ありがたいけどもらってばかりで申し訳ないとかたじけない気持ちに反面なりながら、家計的にお金があって何でもうまくいっている人を「結局お金があるからできるんじゃん」ってどこかで妬んでいる自分もいました。

でも、今となればそんなことを考えている私自身がとても貧しかったです。昔も今も多分、まだまだ青いんだろうなぁ。

色んな気持ちを経験して、うんと人の温かみと感謝を持てるようになることに気づきました。困ったとき、本当に多くの方々が助けてくださったおかげで今の私があることは間違いないです。だから、自分と関わる周りの人々が幸せになれるような存在でいたいし仕事をしたいです。

また、私にはもう一つしたいと思う事があって、それは、「教育を十分に受ける機会に恵まれない環境に育った人たち(低所得、母子家庭、難民など)が自分で道を拓くためのサポートをする」ということです。私が興味を持ちやりたいと思ってしまった以上、多分自分が果たさなければいけないことだと勝手に思っています。

教育に恵まれない環境で育つと、正しい情報の判断がつけない、社会の中で人間関係に悩みやすい、悪い人に騙されやすい、偏見・人を差別する、夢を自由に描けないなど、色々な負の連鎖が考えられます。

彼ら彼女らの存在は、社会の大半の人にその現状を知られることが少ないです。身近にそういう人がいたり、実際に支援の現場にいた経験がないとなかなか理解されにくい。

難民支援をしていたとき、難民の人の母国で起きている紛争について怒り、家族と離れ離れになってしまった悲しみ、手持ちの金額がないことなど今後の生活についての不安を赤裸々に話しを聞いたことがありました。私たちが何の不自由も無く暮らしている現在の地球の裏側では、毎日を生きるのに必死な人たちの存在があります。

難民の人に限った話ではなく、経済的に苦しい生活をしている日本人や、学校に通えていない子どもたちなど、色んな人生の渦中にいる人間の理解や知恵を広げるために、noteでは私の思いも含め教育に関しての記事を取り上げ発信しています。

いじめを無くすのも、暴力を減らすのも、人種差別がなくなるのも、戦争が無くなるのも、全ては人に正しい教育があるかどうかです。学問を通して興味や知見を広げることもそうだけど、誰かの気持ちになって考えたり、困ったときに誰かの力になれるような、人の心に働きかけるような教育が大切です。

私は教員でもなければ教育関係に何か携わってきた人間でもないのですが、今まで生きてきて色んな人と関わることが増えて、改めて強く教育の重要性を感じるから話しています。

「教育を十分に受ける機会に恵まれない環境に育った人たちが自分で道を拓くためのサポートをする」ために自分で必要な団体をつくろうか、海外のNGOかどっかに入ろうか、今考えながら関係者の声を聞きに行ったり少しずつ動いているところです。

少しずつ力を肥やし、必ず結果を出せるようがんばりたいです!


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