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ロシアの子どもたちと戦勝記念日 〜サハリン・スケッチ〜 

今世界が「5月9日」、つまり来週月曜日に注目している。この日にプーチン大統領が「宣戦」するのではないか、この日までに戦果をあげないと、云々。

この日は、ロシアにとっては、旧ソ連がナチスドイツに勝ったことを記念する「大祖国戦争戦勝記念日」だ。(欧米の旧連合国では5月”8”日をVictory in Europe Dayとして祝うという)

私は、何年か前この記念日を、ロシアのサハリン(樺太)の州都、ユジノサハリンスク(豊原)で過ごしたことがある。

ユジノサハリンスクの街のあちこちに「5月9日」の大看板 (撮影 AJ

モスクワ赤の広場で開かれる大規模軍事パレードに比べて、極東の一小都市では規模こそ小さいがパレードと追悼式典があるとのことで、街のあちこちに、戦勝記念日の大看板が掲げられていた。

日本で戦争関連の式典と言えば、戦没者の追悼や反省や平和の誓いの式典で、静かな雰囲気の中行われるもの。「戦に勝った」記念の雰囲気というものを味わったことが一度もないので、「戦勝」記念式典とはどんな空気の中で行われるのだろうかと関心があった。中国や北朝鮮の軍事パレード的な、高揚した、アドレナリンを放出するようなものなのだろうかと。

撮影 AJ

5月9日。その日は、小雨だった。蓋を開けてみると、この年はサハリンでは兵器が登場するような軍事パレードはなく、普通の軍人や退役軍人のちょっとしたパレードと戦没者追悼の献花が行われただけだった。

そして、高揚した空気は一切感じることがなかった。パレードも静かに歩くだけ。

パレードに続いて、戦没者の顔写真を掲げた人たちが静かに集まり、神妙な面持ちで静かに立ち、献花台にカーネーションの花をお供えしていた。そう、カーネーションは私にとっては母の日の花でしかなかったが、こういう時に供える花であることを初めて知った。

撮影 AJ
撮影 AJ


その時撮った写真を整理していたら、気がついたことがある。

意識して撮ったつもりは全くないのだが、子どもが写っている写真が多かったのだ。子どもたちはみな、大人たちの中で神妙な面持ちをしている。

撮影 AJ

この少年は、どういう立場で参加しているのだろう。献花会場のガードのような役割で、この表情のまま、直立不動で立ち続けていた。

撮影 AJ

ひとつ驚いたのは、退役軍人かと思われる初老の男性が、子どもたちに銃を手に取らせて使い方を教えていたことだ。ちなみにこの方はどういう人だろう。外見からはサハリンに多いコリアン系だろうか。

子どもは興味深そうに、しかし高揚することなく静かに銃を触り、男性は我が孫を見るかのような目で子どもに色々教えていた。

撮影 AJ

実は私はこの日は取材ではなく、個人的に見たいため見に来ていた。「大祖国戦争戦勝記念日」は最も大切な国民の祝日で、私を普段支えてくれているスタッフも休み。私はひとりで訪れたので、色々人々に話を聞きたくても、細かいことをロシア語で聞くことができなかった。こういう時に現地の言葉が堪能でないということは、いかに無力かを思い知る。

下の写真も、幼いこども。

旗を掲げた軍用トラックの荷台に乗っていた。この子もはしゃぐでもなく、実に大人びた憂いを帯びた表情で、じっと遠くをみつめていた。

ちなみに、右の青い旗にはサハリン州の地図が描かれ、日本の北方領土もしっかり含めた、彼らが呼ぶところの”クリル諸島”が記されている。

左の赤い旗は、「大祖国戦争勝利の旗」と呼ばれる有名な旗のようだ。旧ソ連のハンマーと鎌のほかに、師団の名前などが書かれていて、1945年5月にベルリンを占領した際に掲げた旗で、戦勝を象徴するものだそうだ。今も、ウクライナのロシア占領下の地区では掲げられていると伝えられている。

撮影 AJ

以上が、私が何年か前にサハリンの地で見た「大祖国戦争戦勝記念式典」の様子だ。とにかく静かな空気の中で、市民が追悼し、子どもたちも大人とともに神妙な面持ちで参加していた。勇ましさや高揚感といった雰囲気はなく、外国人の私が恐怖感を抱くことも全くなかった。イメージしていたものと違って驚いた。

子どもたちは、小さい時からこのような形で戦争に触れ続け、自分は戦勝国の国民だと意識していくことで、どういう考えが形成されていくのだろう。直接話して知りたいと思った。

ちなみに、この「大祖国戦争」と言う呼び名。

我々にはおどろおどろしいが、私と共に働いてくれた若く聡明な現地の女性スタッフが使っていたことに驚いたのを覚えている。この女性は英語も日本語も堪能で国際感覚も持ち合わせている人だが、この記念日を前にして「大祖国戦争」という言葉を使い、「今も兵役で国を守ってくれている男の人たちにお花を贈らなきゃ」と目を輝かして言っていたのが、いまだ印象に残っている。

記念式典の写真に写っている子どもたち、今はどうしているだろう。少年は年齢的にはもう既に徴兵されているだろう。ウクライナ戦線に行っているかもしれない。

そして、人々の雰囲気はどうなっているのだろう。私が見た戦勝記念日の時とは大きく違っているのだろうか。今の戦争の何がどう伝えられ、何が伝えられていないのか、そしてその状況を一般の国民はどれほど客観的に見ているのか、いないのか。独立系メディアも抑えられている今、私たちはロシアの人たちの本音の声を聞く術がない。

月曜日。世界は何を知ることになるのだろう。

私は、西側の5月9日への過剰な注目を嗤うように何も起きず、想像を超えた何か大きな展開が、その後にあるのではないかと思ってしまうのだが、果たして・・・



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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
AJ 😀

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