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【サハリン・スケッチ】 ユジノから豊原へ、古地図で飛ぶ!

地図は、いい。地図は、深い。--  私の「地図愛」については前々回に少し語らせていただいた。「地図を回してひっくり返してみると、日本列島がこんなに違って見える!相手の見ている景色が見える!」などなど。マニアックな興味だったにも関わらず、多くの方々が共感してくださったことが本当に嬉しかった。ありがとうございました。

ところで、まだ途中のシリーズ「サハリン・スケッチ」を書かねばと思っていたのだが、当時の記憶を思い出すために、どうしても欲しい地図があった。

それが、この地図!

稚内市役所にご提供いただいた豊原市街図

今のロシア極東サハリンのユジノサハリンスク市、日本統治時代の豊原市の市街地の地図だ。碁盤の目なのは、札幌の街に倣って作られたからだと言う。

サハリンにいた頃、この地図を見ながら現代のユジノの街を歩いて、当時を想像したりしていたのだが、残念ながらなくしてしまっていたのだ。

ユジノサハリンスク(豊原)市街   撮影 AJ

この地図は、もともと、現地に事務所を構えている北海道・稚内市の方からいただいたもので、純粋な古地図ではなく、市の方が昔の文献から情報を書き起こしてまとめられたものだという。とても見やすい。

ところで、北海道の最北端に位置する稚内市は、サハリンへの”入り口”でもあった。「あった」と過去形で言うのは、かつては、サハリン南部のコルサコフ(大泊)行きのフェリーの定期航路が稚内港から出ていたが、2019年に廃止されてしまったからだ。市役所には「サハリン課」という課まであり、もともと積極的に交流や交易を推し進めていて、現地に事務所を構えていた。コロナでしばらく止まっていたようだが、また活動を再開に向けて準備をしているという。

コルサコフ(大泊)港  撮影 AJ
コルサコフ(大泊)港に入る稚内からの定期フェリー 撮影 AJ
コルサコフ(大泊)港の税関 中古車部品の取引をするロシア人たちが稚内から戻って来た 撮影 AJ

そんな稚内市役所にまたお願いをして、また地図を見せていただけたのだ。本当にありがたい。サハリンの生の情報を入手するには、やはり現地に根を下ろした稚内市だと思う。

次回以降、この地図を見ながら、記憶をたどっていこうと思うが、この地図、ちょっとアップで、想像力をいっぱいに膨らませて見ていただきたい。面白いのだ!

稚内市からご提供いただいた豊原市街図

街の中心、鉄道の豊原駅。「お召し車庫」なんてものもある。駅前には明治生命や都ホテルがあったのか。畳屋さんに床屋さんに、肉屋さん。歯医者さんに、クリーニング屋さん。天理教に救世軍まで。なんか今の日本のどこかの地方の都市の地図を見ているようだ。

稚内市からご提供いただいた豊原市街図

おお、中心部から少し離れたところには、王子製紙の豊原工場。そう、ここ豊原は王子製紙で栄えた街だったそうだ。社宅がたくさん並んでいる。

稚内市からご提供いただいた豊原市街図

街のはずれには、樺太神社、そして市民スキー場、なんとジャンプ台まで!
ちょうど、上に貼り付けた市街地の俯瞰写真を撮った辺りのようだ。今は「山の空気」という意味の名前の、ロシア極東随一と言われるスキー場になっている。

それにしても、今から80年以上も前で、このレベル。
豊原市、当時は相当先進的な街だったようだ!

あっ、そうそう。そもそもこの地図を手に入れたかった一番の理由は、
ユジノサハリンスクの家から職場まで、歩いて通う道の途中で見つけた
あるものの正体を知りたかったから。

この続きは、また今度。

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今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました!
AJ  😀

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