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「熱い」思いで語学をやる人がぶつかる、日本の組織の「冷たい」壁?

こんなに共感していただけるとは!


これまでの自分の記事を振り返ると、今も新たに多くの方が読んでくださる記事があることに気がついて、驚いた。それが、こちら↓(ぜひお読みください!)


「語学だけじゃダメなんだよ」
と、別に語学”だけ”じゃないのに、いや、語学だけでもできればそれはそれで評価してもよいのに、理不尽に、必要以上に、語学を楽しく学ぼうとする人を過小評価したり敬遠したりする傾向が、日本の社会や組織にあるのではないかと感じて書いた記事だった。

特に、私も身を置く国際報道に携わる職場で、ある国や地域の専門家と言われて活躍する人にもそういう人が結構多かったことがショックだったのだ。しかも、言葉を仕事にしている人が、専門とする国の言葉を、あまりに軽視していることに。

今も忘れられない悔しい出来事


今でも思い出すと悔しくて仕方のない経験がある。

昔、中国取材のプロジェクトを自ら立ち上げた際に、大変お世話になったA先輩。

彼は、中国語が流暢で、中国の庶民の言葉から格調が高い表現まで使いこなし、古典から、歴史、現代政治、社会にいたるまで知識見識が半端ない、中国関連の、言わば「知の巨人」だった。取材経験も豊富だった。恐らく日本の中国専門家の中でも指折りの人物だったと思う。

私は当時中国にいて、東京にいる彼に、私のリポートを監修するデスク業務をお願いし、快諾してもらった。

彼のすごいのは言葉だけでなく、誰よりも取材に厳しく、社会の理不尽を追及する情熱があり、人には立場の分け隔てなく優しく接し・・さらに驚いたことには、私たちが撮影して中国から送った映像素材の全てのカットに目を通してくれて、映像編集への拘りもすごかったのだ。また、お茶目な一面もあり、プロジェクトチームの皆んなから慕われていた。

しかし、我々の組織は、このような人物の排除に動いた。

彼を面白くないと思う地位のある人たちにとっては、全然地位がないのに、そんなことには無関心で、偉い人たちに反抗するわけでもなく、ひたすら是々非々の態度で仕事に燃え、かつ人気もある彼は、鬱陶しいこと極まりなかったようだ。(本当は、そういう人こそ重用して味方につければよいのに・・・)

そして、その波は私にも被ってきて、ありとあらゆる、信じられないような嫌がらせを経験し、結果、プロジェクトの歴史から、創始者である私たちの名前は自然に消えていた。彼も遠くに転勤させられた。多くの人に惜しまれたが、組織の潮流に逆らってまで声をあげる人は少なかった。

今思い出すだけで、理不尽の極みに涙が出てくる。いつか詳細を書きたくなった時は、是非話を聞いてやってください。

ところで、彼をいじめた”偉い”人たちに共通していたのは、言葉が得意ではなかったことだった。いや、それは正確ではない。普通よりよほどできる人たちだ。でも、彼ら自身の理想の自分の語学力、もしくは世間が彼らに期待する語学力と現実との違いを、自意識過剰なまでに、不必要なまでにコンプレックスに感じていたこと、と言えるかもしれない。それこそ、全く本質的な問題じゃないのに。

彼らがやたらA先輩について口にしていたのは・・・

「彼は、語学屋さんだから」「ジャーナリストじゃなくて、学者だから」

よう言うわ! 彼は誰よりも記者で、誰よりも映像を大切にしていた。
それ以来、私は、他の場所でこの手の発言を聞いても、嘘だと思って気にしないようになった。

男の妬みは、幼稚で、歪んでいて、ネチネチして、それが権力を持つ人だった時には、部下の人生を変える力を持ったりして、タチが悪い!


「熱く明るい」語学学習者がぶつかる、「冷たく暗い」壁


私がなぜ必死に中国語を勉強していたか。それは単純なことだ。

中国で書かれていること、話されていることを全て自分で理解をし、直接自分の言葉で現地の人の話を聞き、少しでも微妙なニュアンスや本音、真実がわかるようになりたい。中国を取材するために当然やるべきことだと。また、こちらも発信をして彼らにも届けたい。そして何よりも、どんどん言葉がわかるようになることは、理屈抜きに単純に楽しかった。

・・・ただ、それだけのことだ。それ以上でも以下でもない。

しかし、そういうモチベーションで、中国語で取材をしようと頑張っていたことが、”偉い”立場の人たちから警戒されたようだった。

ところで、皆さんは、それぞれ全く違う経験をされていると思う。
しかし、この記事に共感してくださる方が多かったということは、状況こそ違えど、何か似たような気持ちになったことがあるのかもしれないと、思った。

勝手に想像したのは、語学を純粋に、熱く、明るく楽しんで学ぼうとする人が、意地の悪い、冷たく、暗い壁にぶちあたることは、結構あるのかもしれないということだ。そして、後者の発想は、権力を持つ側と親和性が高いのかもしれないと。もちろん組織によって全然違うと思うが、古い体質の場所では。

気にせず、楽しむべし!


しかし、思う。多分そんな「壁」はどうでもいい。”語学をやればこんな良いことがある”などと、それを否定したがる人に懸命に説明してわかってもらう必要もないかもしれない。否定するも自由だ。自分で楽しみながら努力すればよいだけではないか、と。

現に私も、英語や中国語、そして他の言葉も浅く広くかじって本当によかったと思うことばかりだ。そしてもっとできるようになり、もっと使って、もっと何かしたいと思う欲求は止まらない。

ちなみに、先程のA先輩。

その後、中国報道の現場に戻ることはなく、もう転職して新しい道を進まれている。今度久しぶりにお会いして、昔話もよいけれど、何か中国関係で彼と面白いことができないか話し合って、本当に何かを実現してやろうと思っている。

その日が、今から、本当に楽しみだ!



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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
AJ 😀




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