見出し画像

また輝け!ボクが憧れた六甲山 -- 山上に残してきた思い出を辿って

港町神戸に暮らす私たちの背中には、いつも六甲山があった。

子供の頃、六甲の麓の裏山を駆け回り、大冒険気分だった。イノシシともしょっちゅう遭遇した。しかしこんなに街に近くても、千メートル近くもある山。中学生の時友人と山頂を目指して普段着で登ったら、途中で雪に囲まれて眠くなり、危うく遭難しそうになった体験もした。いつもそこには六甲山があった。

この正月休み、久しぶりに神戸の実家に帰った。大病をし、大きな手術をいくつも繰り返し、また正月明けにもう一つ大手術をする高齢の父に会いに。この正月に会いに行かなければ一生後悔することになりそうな気がして、コロナに細心の注意を払いながら帰省することにしたのだった。

この日は、少し自由時間が出来たので、もう何十年も行っていない六甲山上に行ってみた。父との思い出の場所が今どうなっているか、見てみたかったのだ。

表六甲ドライブウェイ (記事中の写真はiPhoneなどで撮影)

六甲山。私にとっては裏山としての存在だけでなく、その山上は、子供心にも憧れた一大リゾート地だった。

イギリス人によって日本初のゴルフ場が作られるなど、明治時代に開発が始まって以来、この山は先進的なリゾートとして発展。私の子供の頃は、家族連れで遊べる自然を生かしたさまざまな施設の他に、成熟した大人を満足させる洒落たホテルなども揃っていた。恋人たちのデートに山上からのパノラマ夜景は欠かせなかった。

今日行ってみようと思ったのは、父との思い出がある場所。しかしその前に、近くに懐かしい場所があるので、まず寄ってみよう。

確か、この辺に、洒落たレストラン?があったはずだ。昔祖父に連れていってもらった時、山小屋風の店にはテラスがあり、大人たちは大阪湾の夜景を酒の肴にジンギスカン料理などを楽しんでいた。チーズフォンデュという食べ物を知ったのもここだった。ダーツなどに興じる人もいた。大人の世界はなんて格好良いんだと思ったのを覚えている。

おっ、この場所のはずだが・・・そこに店はなく、建物は閉まっていた。冬の間だけ閉鎖しているのかもしれないが、どうも、憧れたその店ではないようだ。

がっかりしながら、もうひとつ懐かしい場所に向かった。それは、「六甲オリエンタルホテル」。その祖父が特別に家族を連れていってくれたことがあり、その素敵さに子供ながらに心を奪われて、強烈に印象に残っているのだった。

間違いなくこの辺のはずだが、なかなか見つからない。そう、絶対ここのはずなのだが・・・ 

ああ、わかった!そりゃあ見つからないはずだ。ここは塀とフェンスに囲まれた更地になっていたのだ。ホテルが休業になったというのはニュースで聞いていたが、あんなに存在感のあったホテルが跡形もなく消え失せてしまったとは!

素敵なホテルだった。でも当時の面影を紹介したくとも、ネット上に写真がほとんど残されていないので、どう素敵だったのか、お伝えすることができない。

山小屋テイストを残したヨーロッパ風の低層建築。ロビーには暖炉があり、トナカイかムースか何かの大きなツノがあったのを覚えている。部屋からは文字通り宝石箱を散りばめたような大阪湾の大パノラマの夜景が見えた。なんてすごい場所なんだ。一生に何度もできない非日常の特別な体験をしながら、自分も大人になったら来れるようになりたいと思っていた。

ネットを探すと、わずかにホテルの面影を感じられる記事が残っていた。↓


下の写真はホテル跡地から見下ろした風景。
想像してみてほしい、夜になると、山の闇の向こう側に、大阪湾沿いの街が一斉に光を放つ。180度の大パノラマだ。こんなリゾート、日本各地を探しても、他にちょっとないと思う。

大阪湾のパノラマ 奥には大阪の摩天楼が見える

さあ、早く、今回の目的地、子供のころに父が何度か連れてきてくれた思い出の場所に、向かおう。

途中で車を停め、雪がわずかに残る道を歩いて進んで行く。

不思議なもので、この山道ははっきりと覚えている。

そして、おっ、鉄塔が見えてきた。すでに廃止されたロープウェイの鉄塔なのだが、はっきりと記憶に残っている。急にガーっと鉄塔についた車輪が回り出してしばらくするとロープウェイが通り過ぎていくのだ。今ではその音はするはずはないのだが、今もその音が聞こえた気がした。

何十年もの時を超えて、五感が記憶を取り戻しているようだ!

そう、目的地はここから登っていくのだ。
覚えてる、覚えてる。はっきりと、覚えてる。
一歩一歩のぼる足元の感覚も覚えてる。
お父さんと一緒にここを歩いたよ。

そして、その先には、目的地がある。それは、大きな岩。
その名も、「天狗岩」。
なぜ、天狗か。それは横を見れば、わかる。
鼻が・・・

そこに足をかけ、登ると・・・

そうそう、これ! この岩から、この景色が見たかったんだ。

実は今の大人の私には、この岩にのぼるのはなんてことないが、当時子供だった私には、とてつもなく大きな岩だった。それを父に手伝われて必死で上にのぼると目の前に大パノラマが広がったのだ。

でも、なにぶん子供にはこんな高い岩の上は、怖くて仕方がない。
父は私の体をしっかりと支えたうえで、「おおっと!」と冗談で私を突き落とすふりをした。私はびびったが、なんだかそのまま鳥のように飛んでいって、この大パノラマの中に吸い込まれていきそうな感覚がして、とても楽しかったのを、昨日のように思い出したのだった。

病魔に蝕まれ、小さくなってしまった父。
でも、あの時の逞しい腕の力を、今、この「天狗岩」の上で、私ははっきりと思い出した。


帰り道、休業したロープウェイが、「回送」と書かれてそのまま止め置かれているのを見た。

往時の賑やかさを失ってしまったと言われる六甲山。
またあの頃のキラキラした存在に戻ってくれないか。
まだ、ロープウェイも撤去していないし、なんとか再生できないだろうか。

寂しくなってしまった六甲山は、時の流れと共に進む老い、病気になってしまった父と重なって悲しくなってしまうから。

こんな素敵な景色が見られる唯一無二の一流リゾートだったんだから、いや、今もそうなんだから、また、ふたたび、輝いてくれ!

私は東京で仕事があり、父の次の手術には立ち会えない。

帰り際に父にこの天狗岩の写真を見せ、「昔よく岩の上から突き落とすふりをしてたよね」と思い出を語ったら、一言「おーっ」とだけ言っていた。普段からとにかく口数が少なく、会話下手な父。父とゆっくり会話した記憶もろくにないかもしれない。そんな父の、この「おー」の一言には、きっとたくさんの想いが詰まっている。それは私にはわかる気がする。

初詣の神社で買った病気平癒のお守りも渡した。「ありがとう」の一言。そして私の「手術頑張ってよ」の言葉には、彼はわざとに答えず、何か違う話題に変えた。これも、息子の私にはわかる。こちらの気持ちも十分に伝わっている。

でも、これが最後の会話になるなんてことが万一でもあったら、などと最悪の想像をしてしまったりもするが、そんなことは寂しすぎてあり得ないことだ。

父には心配ばかりかけてきた。困った時に助けてもらった。まだそのお礼も親孝行もできていない。本当は、夜景の見える六甲山上のあのホテルに招待したいところなんだけど、つぶれちゃったから、次帰った時は、天狗岩もう一度行ってみようか。それまでに治っててくれよ!借りは全然返してないんだから!


===================
きょうも最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
AJ 😀



この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

ふるさとを語ろう

この度、生まれて初めてサポートをいただき、記事が読者に届いて支援までいただいたことに心より感謝しています。この喜びを忘れず、いただいたご支援は、少しでもいろいろな所に行き、様々なものを見聞きして、考えるために使わせていただきます。記事が心に届いた際には、よろしくお願いいたします。