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小説で行く心の旅⑥「細君」 坪内逍遥

6月といえば、ジューンブライド。「細君(さいくん)」とは昔の言葉で妻の事です。先月はジューンブライドの月だったので、明治時代のある夫人の物語をご紹介したいと思います。幸せな妻の話ではないので、一月遅らせました。
6月に結婚した花嫁は幸せになると考えられていますが、昔のヨーロッパは3〜5月が農繁期で結婚式は禁止され、解禁される6月に挙式が集中したことから、この考え方が始まったと言われています。日本でもジューンブライドの考え方は浸透し、未婚率が高くなったとはいえ先月新妻となった方は沢山いらっしゃるのではないでしょうか。

小説で行く心の旅、第六回目は「小説神髄」などで有名な坪内逍遥さんの「細君」をご紹介します。
作者の坪内逍遥さんは近代文学の祖と言われましたが、この作品を最後に小説家としての筆を折り、以降小説を書かなくなりました。そういったお話も少ししてみたいと思います。

「細君」は1889年(明治22年)に「国民之友」に発表された作品です。
※「国民之友」は徳富蘇峰により1887年に創刊された日本初の総合雑誌(政治・経済・社会・文化全般についての論評などを掲載する雑誌)
※「逍遥選集」別冊1(第一書房)より

坪内逍遥さん(1859〜1935年)は美濃国(現在の岐阜県)生まれ、本名は雄蔵(ゆうぞう)。
小説家、評論家、劇作家。東京大学政治経済学科卒。1885年に「小説神髄」を発表、江戸時代の勧善懲悪物語を否定し、小説は人の内面を書くことを第一とし、次に世態、風俗をリアルに表現すべきと主張。小説を芸術として発展させて行くきっかけとなりました。
1889年「細君」を最後に小説家としては引退、1891年「早稲田文学」を創刊し、作家の育成に務めました。その後「桐一葉」など数々の戯曲を発表し演劇の近代化にも貢献。最後までシェイクスピア全集の訳文改定に取り組み、1935年「新修シェークスピヤ全集」刊行とほぼ同時に亡くなりました。

岩波文庫「日本近代短編小説選」明治篇1他より

【 あらすじ 】

※ネタバレを含みます、ご注意ください。 
※明治時代のひどい女性蔑視表現がありますが、
批判的な意図で書かれた作品とご理解頂ければと思います。

男尊女卑の厳しい社会、虐げられた夫人の物語


時は明治時代。あるお屋敷に小間使いとして奉公に来た14歳の少女お園と、屋敷主人の妻・お種夫人との会話から物語は始まります。お園は自分に身寄りがない事や、今まで大衆宿屋で牛や馬のように働かされていた不公な身の上を語ります。夫人はお園の話をじっくり聞いた後「よく辛抱をおし。世の中にはまだまだ辛い事があります。」と独り言のように言います。
お園は、裕福で何不自由ない暮らしをしている夫人に、辛い事があるのかと疑問を持ち始めます。そして小間使いとして日々屋敷で過ごすうち、夫人が抱える悩みを知って行くことになります。

悲惨な家庭事情

夫人の夫は高名な学者で収入が多く、高貴な来客も
あり上層階級と言えました。しかし、出入りの商人からツケを払うよう何度も催促されるようになり、取り次ぎ役のお園はこの屋敷の家計が上手く回っていない事に気付き、その事情も知る事になります。

夫は外に愛人を何人か作り、ほとんど家に帰って来ず、夫人は夜の寝室で一人涙しながら過ごしていました。(作者はこの様子を「巣守」と表現し、孵化しない卵を巣で守る鳥に例え、悲壮感が漂っていました)夫が外で散財するため、家計を預かる夫人は困っていました。
夫人の実家には年老いた父と継母、異母兄弟の弟がおり、放蕩者の弟が借金を作る度に、継母は夫人にお金の無心に来ていました

夫の散財でツケを払う事も厳しくなっている年末、継母がまた息子の借金返済でお金の無心に来ます。過去、夫に工面してもらった事がありましたが今回は大金で、さすがに相談出来ず自分の着物を質に入れして工面する事にし、小間使いのお園に質屋へのお使いを頼みます。
質屋の帰り、お園は強盗に遭いお金を全て奪われてしまいます。襲われ怪我をし泣いているお園を巡査が見つけ、屋敷に連れて行った時、帰宅した夫と鉢合わせ夫人の質入れが夫に発覚します。

パワハラ・モラハラオンパレードに耐える夫人


全てが発覚しお園は夫人に泣いて詫びますが、夫人は憔悴しきって答える余裕もなく、不機嫌に屋敷の奥に下がります。奥からは、夫人を責める夫の怒鳴り声が聞こえ始めます。
どんなに夫人が謝っても、夫は「謝って済むか」「財産は皆夫のもの」「質入れして夫の名誉を傷付けた」「権利だとか財産だとか、女のくせに生意気な」「外泊して何が悪い」「妻の権利が何だ生意気な、黙れ」とパワハラモラハラオンパレードの罵詈雑言を吐き散らします。夫人は言いたい事が沢山ありましたが悔しさと悲しさで泣く事しか出来ず、一方的に責められるだけでした。夫はさんざん夫人を責め立てた後家を出て行ってしまいます。
その様子を聞いていたお園は、再び夫人の所へ行き号泣しながら謝ります。夫人はあまりの悲しさに他人を思い遣る余裕がなく、ピシャッと襖を閉め謝罪を受け入れませんでした。その夜、夫人は夫との離縁を決意します。翌朝、井戸に身を投げたお園が発見されます。

後日夫人は夫と離縁、夫は外国人の愛人と再婚。
そう書かれたまま、物語の幕が降ります。

三従七去、儒教思想に虐げられた女性達

読後感想の前に、お話を一つ。
本文に「三従七去」という言葉が出てきますが、
これは享保(1716〜36年)ごろ作られた『女大学』という儒教的女性教育書に書かれた女性教育論で、かなりの男尊女卑思想です。驚くべき事に、1945(昭和20)年まで日本では、一部の先進的な教育機関を除き有効な女子教育であると信じられていました。「細君」が発表された明治時代は、この考え方が当たり前とされていました。
三従(女性が従うべき三つ)
1 結婚前は父に従う
2 結婚後は夫に従う
3 夫の死後は子に従う
七去(夫が妻と離婚できる理由)
1 義父母に従わない、家訓に背く
2 無子(子供ができない)
3 淫乱(浮気、姦通など)
4 嫉妬(家族を恨み、怒る)
5 悪疾(家族に伝染するような病気になる)
6 多言(よく喋り、家の方針について口を挟む)
7 窃盗(家財金銭の使い込み、使用や持ち出し)

明治後期となり、1898年に福澤諭吉が「新女大学」を発表するなどしてこの思想を批判する声が上がり、女性解放運動も起こりました。

【読後感想】

坪内逍遥、最後の小説

この作品を読み、夫の浮気にパワハラ、モラハラに意見も出来ず、苦しみ耐える夫人の姿に胸が痛みました。1700年代の思想を200年近くも引きずって、女性が虐げられて来た社会に、同じ女性として胸が痛みます。無垢な14歳の少女お園が巻き込まれ命を落した事も本当に悲惨で、いかに女性が弱い立場だったかを思い知らされます。お園は傍観者として存在しますが、お園目線で物語を進める事で、家庭内の出来事を客観的に社会の縮図として読む事が出来ました。
坪内逍遥さんはこの作品を最後に小説を書かなくなりましたが、少しわかる気がします。夫の理不尽さに苦しむ夫人の怒り悲しみの心情を赤裸々に書き、男尊女卑が当たり前の世の中を真っ向から批判している作品と言えます。これが発表された時、当時の読者に相当な衝撃を与えたのではないでしょうか。広く普及していた儒教思想を批判するなどけしからん、と非難されたかもしれません。相当な覚悟で発表したと思います。明治時代の女性の心情と世相を赤裸々に表現したまさに「小説の神髄」だと言えます。何故この作品を最後にしたか、まだ調べておりませんが、坪内逍遥さんはこの作品で、小説でやれる事をやり切ったと思ったのではないでしょうか。一人の読者として、個人的に私はそう思いました。

今あるのは、先人あってこそ。

この作品を読み、人権と男女平等が尊重される今の時代に女性として生きていられて、本当に良かったと思います。三従七去なんて、とんでもない考えで怒りさえ覚えます。そして今までどれ位の人々が苦労を重ね、ここまで来たのだろうと思います。明治後期になって女性解放運動が始まり今に至りますが、驚くべき事に女性に集会の自由が許されたのは1922年、女性が弁護士になる事を許されたのは1933年。そんなに昔の話ではないのです。沢山の重圧や非難に耐え、女性の未来を切り開いて下さった先人の方々に頭が下がります。超高齢化社会と言われますが、今の時代を築いて下さった方々を大切にしたいと思います。

そして、夫のみなさま。
どうぞ細君を大切になさってくださいね。


辛い時代を生きた女性の世界
辛いけれど、先人と今を大切に思える、
そんな心の旅をしてみませんか?

最後までお読み頂き、ありがとうございました。



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