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1/14。死にたくない僕に、死んでほしい『それ』。

5:30起床。

天気は曇り。





……。
……。
……。


「もうすぐ、もうすぐ」


もうすぐ?


それは、
1日後?
1週間後?
1ヶ月後?


……。
……。
……。


「もうすぐ、もうすぐ」


ああ、
そっか。
1分後のことだったんだ。


僕が、朝に出会うまで。





『それ』は、突然、現れる。


でも、僕は驚かない。なぜなら、度々現れているから。


『それ』は、僕をそっと抱きしめる。「もう、いいんだよ」と。「もう、死んでもいいんだよ」と。


『それ』は、パートナーのことが、あんまり好きじゃない。なぜなら、『それ』は、僕が一人でいるときに現れるから。たぶん、パートナーがそばにいると、都合が悪いんだろう。だから、『それ』は、都合のいいときを狙う。僕が、日がな一日、一人で過ごしているときを。


『それ』が現れると、僕の頭は、上手く働かなくなる。なぜなら、『それ』が、同じことをいいつづけるから。


「もう、いいんだよ」
「もう、死んでもいいんだよ」
「もう、怖いものなんてないから」


怖い?
怖いものって、何?


僕は、『それ』に訊いてみる。でも、応えは無い。なぜなら、『それ』には耳が付いてないから。『それ』には、耳なんて必要ないから。『それ』には、口さえあればいい。僕を、死にいざなうための、口があれば。


『それ』は、たぶん、1つのルールを持っている。それは、「高圧的にならないこと」。なぜなら、「死ね、死ね」なんていわれたら、僕はすぐに、『それ』が嫌いになってしまうから。嫌いになってしまったら、僕は、『それ』に、聞く耳を持たなくなるから。だから、『それ』は、「死ね、死ね」なんていわない。「もう、死んでもいいんだよ」。まるで、僕の味方であるかのように、ふるまう。


昔々、『それ』は、僕の味方だった。辛くて辛くて、死にたくなったとき、その思いを肯定してくれるのは、『それ』だけだった。なぜなら、僕が死ぬことが、『それ』が唯一望んでいることだから。


けれど、今は違う。今でも、時々、死にたくなることはあるけど、心の底から「死にたい」と思うことは、なくなった。だから、『それ』がうるさいときは、僕は、薬を飲む。『それ』が、目の前からいなくなる薬。薬を飲めば、『それ』は、渋々引き下がる。「また、来ますよ」。必ず、そういい残して。


薬は、あくまで一時的な処置だから、薬の効果が切れたとき――もしくは、パートナーが仕事に出かけたとき――『それ』は、また現れるだろう。これからも、僕の味方として。


『それ』は、突然、現れる。


いつも、同じことばをくり返す。


「もう、死んでもいいんだよ」


だから、僕も、同じことばをくり返す。


「もう、来なくていいんだよ」


『それ』と僕の攻防は、これからもつづいていく。

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