この先も、あの記憶を越えられないまま
又吉さん原作の映画、『劇場』を観ると、そう言った気持ちが溢れ出過ぎて、嗚咽してしまう。
ぽろぽろ泣くのではなく、音にすると「うわーん」という感じで、子どもに戻ったみたいな泣き方をしてしまう。
映画館にも観に行ったし、アマプラでも何度も観た(もう計15回くらいは観てる)
この人のまとめる、映画予告的なクオリティが凄くて、映像と音楽と実際のセリフが、めちゃくちゃ上手くまとめられている。
良すぎるので、ちょっと見てほしい。作品の雰囲気もわかると思う。
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これが上映した時はちょうど、私が一番辛かった時期で、少し極端ではあったけど、沙希の心の動き方と、とても似ていて苦しかった。
苦しかったけれど、直視しなければという想いで、途中から中毒のようになって何度も観ていた。
(作品への“依存”ってあるんだ...とその時自分でも驚いた)
“苦しい中でも、相手への減ることのない愛”、みたいな物が、優しすぎる沙季から溢れ出していて、それを見て救われたり、似ている自分の状況に、絶望したりもしていた。
“ちょっとバカっぽく話して相手の機嫌を取るところ。自分の発言で機嫌を損ねた時にする、フォローのおどけた会話。何が好きで何を嫌がるか全部わかっていて相手に合わせている関係。2人のお決まりのやりとり。たまに素直に甘えてくる相手へのとびきりの愛おしさ。”
ストーリーから垣間見えるそんなところが、まるで自分のようだと思った。
沙希は結局、東京からも永くんからも限界になって離れてしまったけれど、わたしはこれからどうするんだろう、と観るたびに考えては、辛いのに好きなんだ、と認識して落ち込んだ。
たぶん、『劇場』の映画に出てきた沙希と永くんは、もうあの頃に戻りたいと思うことはないんだろうなと思った。
幸せだけど辛くて、その幸せは辛さを上回るほど宝物の時間だったのに、でも心がもたなかったのだから。
けれど、この先もずっと、永遠に、あの時期の自分を思い出すたび、心がその時に引き戻されて、強力な思い出として、上書きされないまま残るのだ。
わたしも、あの頃に戻りたいとは思わないけれど、思い出すたびに、深いところまで行ってしまう。
この先も、思い出す頻度は減っても、思い出す時の重みや熱量や深さは、変わらないんじゃないだろうか。
初めのうちは、思い出してしまうたびに、まだ傷が癒えてないから...と思っていたけれど、どうやら違うぞ、と最近気がついた。
『辛い』と『幸せ』がセットになった記憶の方が、思い出としてつよい。
なんというか、『特別なもの』になりやすい気がする。それは、ただ単にそこにいた、というよりも、『耐えながらもそこにいた』、という事実があるからだ。
あの記憶を、上書きできる時は来るだろうか。
正直、ずっとあの思い出と共存しながら、幸せになっていくんだろうな。
あんなにも好きで、離れられなくて、辛かったけれど別れなかったのに。今思い出してもあの時に戻りたいと思わないのは、記憶としては強いものだけど、幸せだったかと聞かれたら、やっぱり大きな声で『はい』とは言えないからだろうな...
終わってからわかる、正解。
越えられないまま、そのまま、生きていく。
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