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夏目漱石をめぐる冒険

 ネットマガジン『旅色』にて文学旅行プランを載せています。第一回なので、手始めとして都内の日帰りプランを、そして誰もが知っている夏目漱石を、ご提案させていただきました。

 上記の散歩旅の、取材秘話です。
 秘話と言っても、あやしいものではなく、使用できなかった写真をご紹介し、豆知識を皆様と共有できたらいいなぁ、という程度で、肩の力を抜いて楽しんでいただければ幸甚です。


やってもうた! うっかりな話

 行程の最初は東京理科大学です。
 同学広報課は今回の取材にとても協力的で大変たすかりました!
 下の写真は同学の敷地に建つ「坊っちゃんの塔」です。

note用坊っちゃんの塔
©東京理科大学

 同学広報課による説明は以下になります。
「明治の時代から『坊っちゃん』のような人間味あふれた実力ある理数系教師を多数輩出し、物理の普及に果たした役割を誇り未来にわたって脈々と継承していくことを期して建設されました」

 『坊っちゃん』では、主人公の出身校は「物理学校」としか書かれていません。なので、読んだ当時はピンときませんでした。その正式名称が「東京物理学校」であることも知らず、それが後の東京理科大学であることなど知る由もありませんでした。いや、たとえ、文中に正式名称が書かれていても、ただ〝理系の学校なんだなぁ〟としか思わなかったでしょう……。文系の道しか選べなかった悲しき浅学を痛感するのであります (。・_・)。

 さらに言うと、NPO法人文学旅行を始めるまで、どこでどう結びついたか「たしか、東京大学の池に主人公の名前がつけられていたよなぁ」という、うろ覚えから「坊っちゃんが卒業した大学? それ東大じゃね?」と思い違いをしていました。漱石本人の来歴とも重なっていたのでしょう。

 東大の池は「三四郎池」でしたよね。

 うっかりな話を重ねます。
 東京理科大学へ取材を申し込む際に「『坊ちゃん』についてご協力をお願いしたく……」とメールしたところ、〝坊ちゃんではなく『坊っちゃん』ですよ❗️〟と指摘されるという、雑誌編集者としてやってはいけないミスをしてしまいました。

 そうです。小説作品の用字は『坊っちゃん』なのです。

 ことほどさように、世の中は小生に厳しいのですよ、はい。

 とはいえ、こうしたやりとりのおかげで、本番で誤植せずに済みました。夏目漱石をめぐる、これも〝あるある〟ですよね。
 ありがとうございました。

もっとある 夏目漱石の〝あるあるネタ〟

 ところで、今回の『旅色』では、漱石さんが食事をしたお店として鰻の志満金をご紹介しました。その関連で言うと、漱石さんの家があった夏目坂近くの馬場下町に「すず金」という鰻の名店があり、ここがとても美味しく何度か利用させていただいたことがありました。実際に漱石さんが食べていたかは調べていないので確かな記録を示せません。ですが、ネットでは「足繁く通った」とされています。その「すず金」さんの割り箸の袋には、こう記されています。

「我輩もかつて食した ここの蒲焼」

 奇跡的に手元に残っていたので、写真をあげておきましょう。しわくちゃです。すみません。。。

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やってもうた……

 勘のよい方は、もうお分かりですね、うっかりな話を。

 そうです。夏目漱石の猫は〝我輩〟ではなく、
『吾輩は猫である』なんです。

 誰でもあること、気にしない、気にしない。

「すず金」は明治10年創業の老舗でした。最近の店にありがちな甘口ではなく、昔ながらのキリリとした辛口のタレが大好きでした。行列しないと食べられないほど集客力がありましたが、先頃、長い歴史の幕を閉じてしまいました。残念でなりません。老舗の味が消えるのは、きらめく星空の一部が欠けるような感覚があります。

すず金②
旨い!

 大ぶりのお重が魅力的でした。
「尾が手前に来るよう配膳するのが正しいやり方よ」と、お店の人に教えてもらったのも、懐かしい思い出となってしまいました。
 はみ出る尻尾を折り返してるの、分かります?

神楽坂と『坊っちゃん』 浅からぬ縁とは?

 話を東京理科大学へ戻しましょう。
『旅色』でご紹介した近代科学資料館には、同学の創立者と夏目漱石はじめゆかりの人物との相関図が展示されていました。

科学資料館・相関図
©東京理科大学

『坊っちゃん』の主人公が物理学校を卒業した数学教師と設定されたのは、その背後に人間関係が影響しているとの説があるようです。さて、誰と誰が交流していたのか、ぜひ実際に資料館へ足を運んで確認してみてください。この世は人と人との繋がりで出来ているのですね。お薦めします。

 司馬遼太郎も、『街道をゆく』神田界隈で「漱石は学生時代、神田猿楽町に下宿していたから、当時、神田小川町の仏文会の校舎に借り住まいしていた東京物理学校の様子をよく知っていたのだろう。」と記述しています。
 そうです。当時の東京理科大は、神楽坂にはありませんでした。

 同学が神楽坂に移転したのは1906年(明治39年)。
 それは、ちょうど『坊っちゃん』が世に発表された年でした。
 どうやら、両者には浅からぬ縁があるようですね。このとき神楽坂に建てられた木造校舎を、ファサードとして復元したのが今回ご紹介した東京理科大学の近代科学資料館というわけです。

 近代科学資料館は、建築物としても、とても美しい佇まいをもっているので、ぜひお問い合わせのうえ、往訪してみては。リケジョのマドンナちゃんにも会えますよ。

 NPO法人 文学旅行などと聞けば、高尚ぶっていて近寄りがたいな、と感じる方もおられるかもしれません。ですが、運営している人は、このようにのんき者たちです。どうぞ、ご安心ください。ハードルは低いままです。お気軽に絡んでください。門戸は開いています。

 あなたの文学旅行は、どういうコースですか?
 教えていただけたら、うれしいです。

 次回は、神楽坂『旅色』取材秘話、その②です。
 料理旅館・和可菜について、隈研吾建築都市設計事務所からご協力をいただき、室内パースを公開することができました。そのことについて触れていきます。

 乞うご期待!



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