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私の幸せは、知らない誰かの不幸の上に成り立っている、かもしれない

私はひとより共感性が高いようで、日本はもちろん、海外で起きた悲惨なできごとをいつも他人事に思えない。

いつ同じようなことが自分の身に降りかかるかわからない。そう思うようになったのは、私の出身地が太平洋側で、常に地震の怖さを学んできたからかもしれない。

今の私は幸せ、でも数日先はわからない


例えば事故や地震とか、いつ自分の身に起きるかわからない。テレビで報道される災害に、私も明日遭うかもしれない。

だからじぶんのしたいことは常に叶えていたい。と、同時に、難しい環境下にいる誰かには、積極的に寄付をしたい。

だから私は寄付をする


災害やコロナのような疫病は、地球規模で見ればぜったいにある程度の頻度で起きる。

だから、いまの私が不自由がなく幸せに生きているのはたまたま。逆に、不自由な環境になってしまったとしてもたまたま

なので、たまたまいま自由なお金のある私は、不自由な環境にいる方たちに寄付をするのは当然だと思っている。

たまに計算をすると、思ったよりも寄付をしてしまっていることもある。

でも、私の手元にあったら飲み会代にしか使われなかったお金が、もしかしたら何名かの方の命を救うかもしれない。誰かの未来を変えるかもしれない。

そう思ったら、寄付をしない選択肢はないのだ。

私の幸せは、知らない誰かの不幸の上に成り立っている、かもしれない


日常を過ごせる幸せも、急に訪れる不幸も、どちらの状態で過ごせるのかは確率の話なのだとしたら、私の幸せは誰かの不幸の上に成り立っているのかもしれない。

私が目指したいのは世界平和だし、争いは消えてほしいし、疫病もなくなってほしいし、格差も消えてほしいけど、どうもそううまくはいかないようだから。

せめて私はこれからも必要な方にはお金を届けたいし、必要なときにお金を出せるくらいには稼ぎ続けていたいと思う。

7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️