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退職で知る、母という人

昨年度をもって、私の母親は定年退職をした。
私が今年で30歳なので、家族をもってから約30年。

何度も辞めたいとかプレッシャーが嫌だとかいう話は聞いてきたけど、しっかり定年まで働いて私たち子どもを育ててくれた。

母としての人生


私が見てきた母は、私たちのために稼いで私たちのために家事をしてくれる、まぎれもない”母”という存在でしかなかった。

平日の夜はもちろん、週末もたいていずっと家族といる。それ以外の顔を見たことがなくて、正直もともとがどんなひとなのかをまったく知らない。

一時期、私の同級生が母と同じ職場で働いていたことがあった。気になったので、職場での姿を聞いてみた。

聞いてはみたけど、なんだかピンとこなかった。

まったくの別人格でいるわけではなさそうで、私が知っている”母”と同じ、いつも明るくて前向きでひとのことを思っている姿。

どうやってそのエネルギーが湧いてくるのだろうと不思議だった。
(私は対照的でじぶんの感情をコントロールすることが苦手なので、家では常に感情がオフ)

退職の日


3月末の退職の日。
母は、車にも乗り切らないほどの花束をもらって帰ってきた。

それが普通という職場もあるのかもしれないし、逆にそもそもみんながそれぞれ花束を渡すのは非効率と思う方もいるかもしれない。

でも私はこんな量の花束をもらうひとを見たことがなかったし、じぶんのことではないのに涙が出そうなくらいに感動した。

母もこのことはまったく予期していなかったそうで、テレビ通話で全てを順番に見せてくれるくらいには喜んでいたようだった。

母の退職に思うこと


”母は偉大だ”というステレオタイプな見方は嫌なのだけど、この日ばかりは”うちの母は偉大だ”と思った。

私が結婚をするならこんなひとは絶対に嫌だと思う要素がありすぎる夫と過ごし、問題が多くてお金のかかる3人の子どもを育てながらも、職場で慕われるふるまいを、30年間してきたのだと思った。

私はこんなにも精神的に不安定だし、じぶんのことをするだけで精一杯なのに、母はどうやって”妻”と”母”と”上司”と”じぶん”をこなしてきたのだろう。

世のお母さんたちはほんとうにすごい。
そのすごさが、もっと認められる世の中になってほしい。
”母は偉大”の一言で片付けられるものではない。

そしてこれからの母には、気兼ねなくじぶんの時間を過ごしてもらえますように。
私たちが支えていきたい。

7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️