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誰もが自分らしく生きる世の中を、許さないのは誰か

女性として30年ほど生きてきて、何度もくり返し思うことがあります。

「この社会(日本)で、女性って生きづらいな」ということです。

若い頃は、「それでも女性で得していることもあるしな……」などと思っていました。

でも、アラサーになったいまの私は、「女性で得をする」とか、「女性だから辛いな」とか、どちらも思いたくないなって。

女性も男性も生きやすい世の中であってほしいし、もちろんこの二項対立以外の属性でもなんでも、みんなが生きやすくあってほしいです。

みんなが自分らしく生きることを、許さないのは誰なんだろう。こう考えると、得体の知れない大きな何かにとらわれて、静かな怒りがわきます。


私は、生きづらい


ここ=日本は、私(女性)にとっては生きづらいです。

1年前に会社員を手放して、いくらか生きやすくはなりました。大きな組織と、そのしがらみから離れたからです。

でも、日本で女性に求められるものとか、女性を襲うものとか、会社よりもずっと大きなものからは、完全に離れることはできていません。


一方で、気づいたことがあります。

女性の私は日本で生きづらいけど、同様に男性も生きづらかったのだなということです。

なんていうか、これは私にはかなり大きな衝撃でした。

私は自分をフェミニストと自認しているとはいえ、男性ならみんな生きやすいと思っているわけではない、と、思っていました。

自分の家族を見ていて、男性の大変さにも気づいているつもりでした。だけど、これはごくごく一部を見ていたのだと思います。

結局自分の中に、特権階級の男と、そうではない女の二項対立を作っていたのでした。


男性も、生きづらかったのか


「女性の私たちは生きづらい」と、言葉にすることが増えたここ数年です。

その私が男性の生きづらさに気づいたのは、家族とのコミュニケーションがきっかけです。


私にとって、例えば特権の話によく出てくる「白人男性」のような場所にいると思っていた人の、生きづらさに気づきました。

世界で言う「白人男性」のような特権を、日本で持っていると思っていた人。私たちよりは、生きやすいだろうと想像していた人。

その人にも、巨大な生きづらさがあった。なんなら今となっては、私よりもずっと生きづらそうに見える。


これが、私にとってはすごく大きな衝撃でした。

いまの私にも全貌が見えているわけではないと思うけれど、過去の私にはずっとずっとごく一部しか見えていなかったのだと思い知りました。

(念のため書いておきたいのですが、これは「男性も大変だから優しくしようね」という話ではありません。)


みんな、自分らしく生きてほしい


男性が・女性がという二項対立は、わかりやすいので話に出がちです。他には例えば、シスかそうじゃないかとか。

確かに、時にはこうしてわけて話すことも必要だとは思います。

実際、体や社会からの期待が違うのだから。議論を何においてもいっしょくたにまとめてやるのは、今の日本ではまだできないと思います。


でも、目指すのはこれだと思います。みんなが自分らしく生きること

男性が・女性がではなくて、男性も・女性も、あるいはどちらでなくても。みんなが自分らしく生きる世の中が、できてほしいなって。

そんな世の中は、作れないのだろうか。

みんなが自分らしくある世の中が作れないのは、何がそうさせているの? ねえ、誰が止めているの?

そう問いたくなります。


誰もが自分らしく生きるのを、許さないのは誰か


誰もが自分らしく生きれたら、それ以上のことはないと思うのです。

だけど、この社会はそれには程遠い。女性も男性も、社会的な役割を期待し期待されています。

この生きづらさって、どこから来ているのだろう。誰が作っているのだろう。そんな問いが浮かびます。


この問いに対していま私が持つ答えの1つは、みんなが作っている、みんなの中から来ているということです。

社会的な役割をまっとうするのが当たり前と社会が信じていて、だから自分もそうするし、そうしない人に要望する。

そんな循環が、あるのではないかと思います。


私も中にも、この考えを持った人格がいます。それを認めたうえで、私はこの循環を止めたいと思います。

役割を期待するのは、私たちが長らく触れてきたことです。だからこの思考を取り去るのは、なかなかに骨の折れることです。

でも、次の誰かや次の世代に、この苦しい循環は渡したくないから。私は循環を止めるほうに、力を費やしたいです。


ここでの私の提案としては、ただ自分であることを、自分に許してみませんかということです。

自分に何かを科すと、誰かにも期待するのが人です。それが寄り合わさって、大きな存在が継承されていきます。

それはちょっともう、苦しいなって。それぞれにとっての「自分」を起点に、自分らしさを許そうよと。


そうやって、お互いに許しあうのはどうですか。

私たちから順番に、自分も他人も許していけば、次は許す循環が起きると思うのです。

そうすれば、私たちが自分らしく生きることを許さない大きな何かにも、影響できるのだと思います。


この記事では「大きな何か」と書いていますが、きっとこれが何なのか、心当たりがある方もいらっしゃるだろうと思います。

これが私の思う、もう1つの答えです。大きなものからの支配を、手放す選択を取りませんか。私はそんな未来を願っています。


7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️