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誰を人生の登場人物にするか

私はかなりドライなのかもしれない。人間関係を整理したくなるたび、自分に対してそう思う。

プライベートの人間関係を、私はコロナの期間に大きく整理した。その3年前には、色恋の人間関係を整理した。

私は定期的に、まわりのひとを整理したくなるひとなのかもしれない。普通な誰かよりもドライなひとなのかもしれない。

でも、これが私なのでしかたない。日本を離れてドイツに住み始めたいまも、この性質は変わらないようだ。


私が一緒にいたいひと


私が一緒にいたいひとは、私が限りなく素の状態でいれるひと。みんながどうかはわからないけれど、私にとってはそういう関係性になれるひとは少ない。

素の状態というのは、無理して相手に合わせる関係性ではなく、お互いの性格や思考を曲げずに一緒にいられる関係性でこそ顔を出す。

どちらかが無理をしていては、お互いに素の状態で過ごせない。

私の思考はややこしい。だから、私が素でいられる関係性に出会うことは、簡単ではないと承知している。

それでも、私は誰と一緒にいるかということにこだわる。なぜなら、無理をして一緒にいることは、互いに対してあざむくことだから。

なにも主張をしないのに、本心では「私があなたに合わせているのに」なんて思いながら無理をするのは、友人に対して不誠実。

本心の自分を押しこめて、偽った私を演じるのは、私自身に不誠実。

だから私は、一緒にいたいひとをこだわって決める。これは私のワガママとかいう問題ではない。


誰を人生の登場人物にするか


私の人生において、定期的に大きく立ちあがる問いのひとつがこれ。「誰を人生の登場人物にするか」。

私という人生の物語を進めていくとき、誰をそのまま物語のなかにおいて、誰を章の変わり目に手放すか。登場人物が多すぎては、物語がうまく進まない。

私は私のために人生を進めている。だから登場人物は私の人生にフィットする方を選ぶし、友達にも選んでほしい。本当に必要なひとだけを。

必要でなければ、私を選ばなくてもいい。それぞれの最高な生き方をするためには、無理して一緒にいないことも大事。お互いにとらわれる必要はない。

私は誰を人生の登場人物にするか。ドイツに来て5か月、知り合いが増えてきた私は、しばらくぶりのこのタイミングにきた。登場人物を吟味する時。

私の人生には、誰が必要なのか。いまの私と人生をともにするひとは誰なのか。

違和感に目をつぶらず、必要なときには人間関係をリリースして、私最適な登場人物選びをしたい。私はこの人生の主人公なので。

7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️