31歳の私は母に心配をかける練習を始めた
最近の私は、休む練習をしている。それと同時に、母に心配をかける練習を始めることにしたのは、つい数日前のこと。
3人兄弟の長子で30年ほど姉として生きてきた私。それだけでなく、母に対しても前世で姉か母だったのかと思うほど、実は弱い部分を見せられない。
母とは時差があるほど遠くに住んでいる私は、もともと日本に住んでいても、体調が悪いことも隠すような性格。
いまは時差があるから、連絡を取らない時間にいらぬ心配をさせたくない気持ちに輪がかかっている。
でも、それでいいのだろうかとふと思った。母が急にいなくなったとして、この関係性であることを、私は後悔しないだろうかと。
だから、休む練習とともに、母に心配をかける練習もすることにした。言いかえれば、勝手な隠しごとをしない練習をしている。
母に心配をかける
こうして書きながら思う。
母とは、こちらが気にせずとも、心配をしないことにはぜんぜん心配をしないし、心配をすることには常に心配をしているものなのだろうと。
私は母から遠く離れて、ドイツはベルリンにひとりで住んでいる。このこと自体が充分に母を心配させることだし、実際に心配しているのはわかる。
だから今回の「心配をかける練習」は、完全に私の問題なのだ。
これ以上に心配させたいとかいうことではなくて、私が勝手に母の気持ちを心配して、本心やほんとうの状態を言わない、ということをやめる練習。
そういう意味での、母に心配をかける練習。母との関係性を、またひとつ取り戻すための練習だ。
母に心配をかける練習を始めた
去年の夏に、私たちは大きく関係性を取り戻した。そのおかげで、私は母の前で、怒り以外の感情を表現できるようになった。
このことに、私はとても安堵している。ずっとそうなりたかったから。
でも、ここで満足してはいけないと思った。私たちはまだ、関係性を取り戻しきったわけではないから。
そういうわけで、心配をかける練習を始めた。母が心配をするようなことも、選別せずにちゃんと言う。
それを母が心配するかどうかは、母が決めること。私が勝手に止めない、一度ちゃんと伝えてみる。
こうして私たちは、またもう一段近い距離になっていこうと思う。遠く離れていても、心の距離は近くあれるはずだから。
7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️