見出し画像

笑顔は私の誇りだった

対人支援を仕事にするようになり、笑顔を褒めてもらうことが増えた。

「笑顔が印象的」「笑顔で聞いてくれて安心した」「笑顔に癒された」、などなど。

いつからか、私は笑顔でそこにいることを大事にしている。もとをたどれば、これは祖母の教育だった。

内からのものというよりは、教育の賜物というもの。だけど私いまのにとって、「笑顔でそこにいる」ことはすごく大事なことだ。

(余談だけど、サムネは幼い頃の私)


「いつも笑っていなさい」という教え


幼い頃、共働きの両親の代わりに、祖父母と過ごす時間が多かった。

特に祖母との時間は長くて、長女気質でチャキチャキな女性だった祖母の教育は、時には怖いものだった。

例えば、夏休みのラジオ体操に行かなくて、家に入れてもらえなかったことがある。いま思い出しても、すっごく嫌な思い出。

そんな怖い祖母だったけど、84歳になった今は、「子ども」と「おばあちゃん」が混ざったような、あの頃の祖母とは違う人になった。


祖母は、私たち兄弟に、「いつも笑顔で挨拶をしなさい」と言った。なぜそうするように言われたかは覚えていない。

でも、「aimiちゃんは笑顔がいいね」と、近所の誰かに言ってもらうことは嬉しかった。

それになりより、「笑顔でいることは良いことだ」という価値観は、私たち家族にとって大事なものだった。


私が笑顔でいることは、祖母の教えに合っている。私が笑顔でいると、周りの誰かが褒めてくれる。

外からの動機づけによって、笑顔は私の誇りになった。


笑顔は私の大事なもの


いまの私は、毎日Zoomで仕事をする。Zoomが仕事場であり、仕事をするときは必ず自分の顔を見る。

自分の顔を見て思うのは、笑顔という表情を選択している人間だということ。

人の話を聞く時に、笑顔を選択しなければいけないルールはないけれど、私は笑顔を選択している。もはや私の意思として。

30年も生きると、外からの動機づけで取り入れた笑顔も、私の大事な価値観になったようだ。

これがいいのか悪いのかはわからない。ただ私は、笑顔で人の話を聞くことを選択したい。


なぜかといえば、笑顔で話を聞いてもらえることに、私自身が安心するから。

と思っているけど、過去に笑顔をあまり選択しない方にコーチングをしてもらったことがある。

それで気づいたのは、コーチが笑顔ではないことに、違和感はなかったということ。

私は自分が夢中で話す時、相手の表情に重きを置かないのかもれしれない。


だけどやっぱり私には、「笑顔が誇りだった」という価値観が植わっている。そこから派生して、笑顔に安心するという価値観も。

だから私の対人支援には、「笑顔で聴く私」という要素が必要なのだろう。


今日も祖母とは、何も言葉を発さずとも、笑顔だけでコミュニケーションをとる。

仕事のために2階に上がる時、耳が遠い祖母には、急に声をかけるよりも視覚でコミュニケーションを取るほうがいい。

笑顔で「うん」と頷きあって、2階に上がることを承知する。私たちにとって笑顔とは、そんなコミュニケーションの方法でもある。


7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️