スシローは、私にとって泣く場所らしい
うちの家族の行きつけのお店、スシロー。何か良いことがあったら、スシローに行く。特になくても、スシローに行く。
そんなスシローは、私にとっては泣く場所らしい。家族に弱みを見せられない私が、なぜか涙を見せてしまう。私と家族にとって大事な場所なようだ。
セクハラで精神を病んだこと
2年半前の私は、クライアントから急に受けたセクハラ(という言い方は本当は嫌で、私は性暴力と言いたい)に、精神を病んでいた。
その事実はもちろんショックだったし、世の中のおじさんたちを全員受け付けなくなった。
それだけではなくて、恐怖の範囲が広がってしまい、男性が怖い、夜道が怖い、心を閉ざしてしまうなど、生活が困難になった。
報告した相手の上司は、徐々に態度が変わっていき、気づけば立派なセカンドレイプだった。でも上司はきっと無意識で、その乖離も私を病ませた。
そんな時に、私は有給をもらって実家に避難した。精神的な避難だ。
この話を家族にできるとは思わなかったけど、それでもひとりで家にいるよりはマシだと思い、3連休をもらって急遽帰った。
この時に、私は家族とスシローに行った。忘れもしない、あの風景。
母と一番下の弟を前に、感情が止まらなくなって、食べ終わる頃にスシローで泣いた。この場に父がいないことも、またよかった。
なぜなら、父が聞けばぜったいに激昂をして、大変なことになるから。
母と弟と私の3人だったこと、安心しておいしいごはんをやっと食べれたことが、私の心をほぐしたのだった。
家族に壁を作ること
私と家族の問題は、どちらかといえば私にある。
子どもの頃の未完了が、私の中にはある。未完了とは、母にもっとケアをしてほしい気持ちだったのだと、最近やっとわかった。
というのも、私は半年ほどカウンセリングを受けている。カウンセリングのテーマは徐々に変化し、最近はもっぱら家族の話。私に残る、未完了の話。
子どもの頃、私よりも弟のほうに手がかかった。一方私は学校が遠くて、家族と一緒に過ごす時間がそもそも少なかった。
弟たちは、特に一番下は、親との関係性が近かった。それに比べて、私は親対子どもの仲裁であり通訳のような立場を手放すことができなかった。
親がお手上げなことを、私が任務を受けて解決する。親の言うことを聞かない弟も、私の言うことには耳を傾けてくれるから。
私も嬉しかったから、当時は誇りに思っていた。この気持ちは、いまのコーチングに繋がっていると思う。
だけど本当は、もっとケアをされたかったのだと思う。もっと子どもらしく、振る舞っていたかったのだと思う。
ケアしてほしいと示せばよかったのだけど、「姉」というプライドが邪魔をしてできなかった。つもりに積もって、いまでは壁を作ってしまっている。
スシローは、私にとって泣く場所らしい
そんな私が、またスシローで泣いた。正確に言えば、スシローの店舗内で泣いたのではなくて、降りる前の駐車場で泣いた。
今日のメンバーは、母と祖母と私だった。
そう、弟がいなかったことがそうさせた。「姉」の役割を持たなくていい、「子ども」「孫」であれることが背中を押した。
この涙は、もっとケアしてほしかったことを、やっと母に話せる涙だった。
本心にあることは、いまもケアをしてほしい気持ちではなくて、こういうわけで距離の取り方がわからないと伝えたい気持ちだった。
距離の取り方を身につけるのは、今の帰国の期間が当分の最後だと思っている。次はいつ長期で戻れるかわからないし、いま関係性を作っておきたい。
このnoteに書いてあるようなことを、そのままに話した。過去の私はそんな言葉は出なかったと思うし、noteで言語化を繰り返していてよかった。
ということで、ここで一度noteに感謝を。
スシローは、私にとって泣く場所らしい。距離はうまく取れないけど、本当はもっと母に近づきたい私の、心の壁を崩してくれる場所。
どこにでもあるお店が、田舎にぽつんとあるスシローが、私にとってこんな場所になるとは思わなかった。ありがとう、スシロー。
またスシローで涙を流す日も、あってもいいなと思う。
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7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️