【必見:大人の発達障害】職場に障害をカミングアウトした話
私の勇気ある行動を、みんなに見てほしい。
はじめに
まずタイトルの定義として、『大人の発達障害』とは大人になって発症したのではなく、大人になって発達障害の症状が顕著に出て困っている人を指す。前者を提起する人もいるけど、発達障害はどこまでいっても『障害』なので生まれつきだと私は思っている。なので、ここでは『大人の発達障害』の解釈は先に示したとおりとする。なんか難しい言い方になっちゃったね。
クローズ就労で隠し通した数年間
そんな悩める大人の発達障害の人は、私の体感的にグレーゾーンだったりクローズ就労だったりする率が高いと思う。自分で自分の至らなさを嫌なほど自覚してるから、十転び十一起きくらいして普通の人として生活に馴染もうと努力している。だから人の数倍疲れるし、それでも馴染めない自分に傷つく。そんな毎日を送っているのが私たち大人の発達障害者。
私も例に漏れずクローズ就労してきてもうしばらくの年数が経っている。クローズ就労を選択した理由も何回も言って耳タコかもしれないけど、給与面の待遇の低さ、キャリアアップが望みにくいこと、差別されることがあるからの3点セットである。しかも発達障害の診断をされたのは10代の時だから、克服本をこれまで何冊読んできたことか。障害者である自分を認めたくなかったから、フツウ(健常者)に憧れていたのだ。
カミングアウトに向けて
そんな私は休職に入る段階で、どうしても障害のカミングアウトをせざるを得なかった。それは休職の原因であるうつ症状の発端が、ASDから来る空気の読めなさやADHDから来る衝動性によって出る「話しかけるタイミング悪い問題」などで、しこたまパワハラを受けたからである。他にも発達障害起因の『やらかした』はいくつもあったし、その度に叱られ、叱る態度を超えたパワハラも受けていた。そうして徐々に心は蝕まれていって、うつ症状、そう言うものが出始めたのである。だから言わざるを得なかった。
言わなかったらまた同じ問題でパワハラは発生するからだ。だから配慮して欲しい事項を紙になんとかまとめた。夫や親に見てもらい、泣きながら作った。本当は言いたくない。言いたくないし、クローズ就労のまま終わりたい人生だった。差別する人だっている。意外と居るんだ、私は知ってる。だから気持ちはぐちゃぐちゃだった。うつ症状もあって思考力が落ち、周りの人に支えられながらなんとか配慮事項をまとめた。
カミングアウトをしてみる①
面談の日を人事が設けてくれて、まずはパワハラ上司の上司にこのことを打ち明けることになった。障害のことは抜きにして、パワハラをすることは社会常識からしてアウトなので上司の上司から上司へ、注意してもらうことになるからだ。なんか言い方ややこしいな。それにあたって、バックグラウンドにこう言うことがあると言うのは知ってもらわないといけないよねとなり、上司の上司へ打ち明けることとなった。
用意してきた配慮事項の紙を手に、ゆっくり、一つ一つ話していった。質問されたことにも答えていった。自分が10代の時から障害を患っていること、障害者差別を受けてきたこと、ずっとクローズ就労にしたかったけど限界を感じたこと。声は震えてた。上司の上司は丁寧に聞いてくれて、理解者が増えたことは単純に嬉しかった。
カミングアウトをしてみる②
上司の上司へのカミングアウトを済ませると、上司に対して注意すると約束してくれた。それからがクライマックスの上司との面談だった。面談には上司の上司と人事も居たのだけれど、緊張が最大限まで高まった。先ほどと同じ、上司の上司にしたように読み上げる障害配慮の原稿も、話したことは覚えているけど上手く話せていたか覚えていない。上司は顔を天井に向けて目頭を押さえているように見えた。
目を合わせられなかった私が聞こえた言葉は「申し訳ありませんでした」と、「配慮します」ということだった。今まで私に向けられた言葉とは重みが違うな、と自分なりに噛み締めた。気づいたら涙が話している内にどんどん内側から込み上げてきて外に溢れて泣いてた。ハンカチで拭っても拭っても、止まらなかった。相当我慢をしてたんだと思う。
そして休職となった
これを経てから仕事に行ける状況じゃないので休むことにして、主治医のところに行ったら一瞬で診断書が出て休職突入となった。カミングアウト自体はたった1日で終わったことだけれど、1日とは思えない内容の濃さだった。私にはクラクラして目眩がしそうなくらい、それはそれは濃い1日だった。
クローズ就労をしている人、私は負け組なのかな。言ってしまったからには終わりなのかな。でも、差別をする人もどこかでいる事実は変わらないんだけど、理解してくれる人を目の前にすると少しホッとしたよ。心が温かくなったよ。
私がしたことは正しいことかどうかは誰にも測れない。誰にも測られたくもない。だけど、言わざるを得ない状況だったことは間違いない。間違いなかった。
そんな私は3ヶ月間の休職(慣らし出勤含む)がもうすぐ満了する。いよいよ本格復帰するのかもしれない。
だけど、今後どんな働き方になるか働く場所もどうなるかわからないけれど、この経験はずっと、いつまでも忘れられないものになったと思う。
私へ
頑張ったね
私より