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わたしと音楽

5歳の頃まで、ピアノを習っていた。今はもうほんの少ししか弾けない。

ピアノの練習やレッスンのことは、母から叩かれながらやっていたことくらいしか覚えていない。あんまり好きじゃなかったから、引っ越しと同時にやめてしまったけれど、小学校に上がってからの『ピアノの弾ける女の子ステータス』の高さには慄き、やめてしまったことをちょっぴり後悔している。

通っていた小学校には、音楽の先生が作った合唱団があり、希望する生徒は4年生から入ることができた。こちらもやはり『キラキラデキるお姉さん系女子』が多く在籍しそのステータスへの憧れから入団を決めた(と思うが、実のところよく覚えていない)。団はNHK合唱コンクールに出場していたから、そのメンバーになるべく内部オーディションを受け、合格し夏休みの半分は学校の音楽室で過ごした。6年生の時はその繋がりでなぜか、リコーダー重奏コンテストのメンバーに誘われ、やはり冬休みのほとんどを音楽室で過ごすという生活だった。こう書き綴ってみるとなかなか充実した小学校生活である。

当然のごとく、中学では吹奏楽部に入ることとなった。当時大人気パートであった、サックスパートに配属されたのは1日限りで、クラリネットパートに落ち着いた。わたしは身長が今でこそ147センチほどしかないのだが、もちろんその頃はもっと小さく、楽器の方が大きいくらいだったし、一番下の穴(キー、という)に指が届かなかった。おかげで、みんなが楽器と仲良くなっている横で、ピアノの前に座り、一オクターブ分(ドの鍵盤から、次のドの鍵盤まで)手も広げるという地味な訓練を孤独にやっていた。

この時点でクラリネットには適正がなさそうだが、実は母も中学高校と吹奏楽部でクラリネットパートだったそうで、遺伝というものかもしれない。母とのつながりは、音楽だけだったと思う。

高校は勉強せずとも入れる、家からほど近い山の上の高校にしたのだが、なんと吹奏楽部の顧問が県内でもそこそこ名の知れた先生で、卒業生にはちらほらとプロの演奏家が出ている。クラリネットの先輩もその一人で、信じられない安い金額でプロからのレッスンを受けることができた。

結局わたしは学生生活のほとんどを音楽室と部室で過ごした。働いて自分のお金で声優の養成所に行くから、大学は行かない代わりに、進学のための貯金でクラリネットを買ってもらった。安い軽の中古車は楽に買えるものにした。それから今でもクラリネットは時たま吹くし、地元にいた頃はOGとしてステージに乗ったりもさせてもらっていた。今でもかわいい、わたしのステータスだ。

声優としての活動は乏しいわたしだが、時々ライブ歌唱の依頼を頂いて歌っている。ありがたいことに、今後もまた出て欲しいというお声も頂戴する。

音楽は、演劇においても重要だし、特に音と情景(または環境・状態・行動・状況)は密接に連動しているので演技をする上でとても役に立っているし、本当に音楽をやっていてよかったと思う。

やっぱり、すべてのことはつながっている。


形は少しずつ違えど、人生の半分以上、音楽と関わり続けている。部活なんか、ずっと辞めたかったくせに、辞めきれなかった。

あの、ステージの眩しすぎて暑いライトと、暗い客席からの拍手から、離れたくなかった。

きっと、本当に好きなものには『好き』という感情などちっぽけで浮かびもしないのだ。引き寄せられ続けていくのだ。

ただ、そこにあって、それをすることが当たり前になることなんだ。



それが『好き』ってことなんだ。きっと。

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