八木@仕事と暮らしと演技

基本演技アドバイザー。これまでと今とこれからのわたしについて。考えと思い出と暮らしてい…

八木@仕事と暮らしと演技

基本演技アドバイザー。これまでと今とこれからのわたしについて。考えと思い出と暮らしていく。ビジネスマインドと人間科学をもとに、生活と仕事の仕方、演技について書きます。テレビドラマや映画をもっと楽しむための知識と、再現性のある安定した演技をするための知識のnote.

最近の記事

御礼

つらつら徒然と、わたしの過去のお話を6つのnote.に書かせていただきました。東京でのお話はもう少し続いていくのですが、まずここまで読んでくださった方々に厚く御礼申し上げます。 いいね等少しづつ増えてきており、大変励みになります。 今後は、わたしの人生もたどりつつ、演技について、人間について勉強してきたことを綴っていこうと思います。 演技アドバイザーとして、一般の方々がテレビドラマや映画はもちろん、そこから派生して、日々のお仕事や生活をより楽しめ、日常に少しの隠し味をお

    • わたしと演劇:養成所東京編

      さて。3年近く勤めた歯医者を退職し、観劇しながらも貯め続けた250万とともに上京した。 最初に住んだ街は東京郊外にある、桜の綺麗な街だ。街並みも古さと新しさが混じっていて、お散歩が楽しかった。ここを選んだのは、なんとなく地元に似た空気と、コメダ珈琲店があったからだ。 とても親切で、わたしをとても応援してくれる不動産やさんと運命的に出会い、家賃や部屋などを優遇していただいた。その方は今も懇意にしてくださっていて、本当に恵まれたと思うし、彼から借りる以外は考えられないほど本当

      • わたしと演劇:声優養成所名古屋編

        日ナレに入って2年目、ひどく悩んでいた。 全くもって、芝居というものがわからなかった。講師からのいい評価は貰えなかった。オーディションなど、到底受からなかった。 大いに困ったわたしが行き着いたのは、名古屋市にある劇場での公演だった。恥ずかしながら、芝居を勉強し、生業としようとしているのに、舞台というものを一度も見たことがなかった。 どのようにしてその公演を知ったかは忘れてしまったけれど、『テアトロ☆マジコ』さんという、ファンタジーな題材を扱う劇団の本公演だった。衣装が華

        • わたしと声優、それから演劇

          「声優になろう」と決めたのは、高校1年の春だった。 鮮烈なきっかけはなかったと思うけれど、前のnote.に書いたと思うがアニメが好きでよく見ていたから、アニメの製作に関わって、スタッフロールに載りたいと思っていた。絵を描いていたから、初めは原画マンを目指そうかと思ったが、仕事として絵を描いているのはちょっと違うかなという気持ちになった。自分の創作の時ですら、集中力にムラがありすぎたし何より、机の前でじっとしているのはなかなか辛かったのである。 そんな時、スタッフロールをぼ

          わたしと音楽

          5歳の頃まで、ピアノを習っていた。今はもうほんの少ししか弾けない。 ピアノの練習やレッスンのことは、母から叩かれながらやっていたことくらいしか覚えていない。あんまり好きじゃなかったから、引っ越しと同時にやめてしまったけれど、小学校に上がってからの『ピアノの弾ける女の子ステータス』の高さには慄き、やめてしまったことをちょっぴり後悔している。 通っていた小学校には、音楽の先生が作った合唱団があり、希望する生徒は4年生から入ることができた。こちらもやはり『キラキラデキるお姉さん

          わたしと本と同人誌、そしてアニメ

          小さい頃から、本が好きだった。 ご存知の方も多いかと思うが、絵本『ぐるんぱの幼稚園』は、祖母の家にいた頃に母からもらって読み、大泣きをした。ひとりぼっちの象、ぐるんぱの悲しみ・寂しさと、自分の寂しさが共鳴したのだと、今ならわかる。 こちらも多くのファンを持つ絵本『ぐりとぐら』シリーズは全巻持っていて、高校に上がってからも引っ張り出してきて読んだし、『あらしの夜に』シリーズは小学校1年の夜に読み、やはり大泣きした思い出が未だに残っている。 少し話がずれてしまうけれども、『

          わたしと本と同人誌、そしてアニメ

          わたしのことを書こうと思う

          わたしを知ってもらおうと思ったら、どうしたってわたしのことを話さなきゃならない。あんまり気が進まないけれども、頑張って書こうと思うから、少々のおかしなところや、読み辛さには目を瞑ってもらいたい。 わたしは名古屋市港区で生まれ、三重県で育った。下にひとり、一つ違いの妹がいる。妹は先天性の口蓋裂という病気で生まれてすぐ入院していたから、2歳〜4歳くらいの間はほとんど祖母の家で暮らしていた。そんなだからか、多少の名古屋弁・三重弁はあるもののほとんど標準語で話せるのは俳優を学ぶ上で

          わたしのことを書こうと思う

          はじめに

          大好きなあなたへ ハロー、ハロー、聞こえますか? 自分の内側にある海に、ドボン、と重たい石が沈んでゆくような、そんな気持ちがする。もう何年もずっと、この拳ほどの大きさの石は私の海に留まったままだ。 ほんの些細なことで傷ついてしまう。 自分は勿論、他の人の『テキトー』が許せない。 誰にも嫌われたくない。 そのくせ、『好きだよ』が信じられない。好きってなんなんだ。 一体、なんなんだ。 世界から、切り離されていく。そんな感覚がする。 けれども、それでも私を好きと言